シリーズ誕生とは? わかりやすく解説

シリーズ誕生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 06:15 UTC 版)

若大将シリーズ」の記事における「シリーズ誕生」の解説

このシリーズ生みの親は、プロデューサー藤本真澄脚本田波靖男である。加山雄三前年デビューし田中友幸プロデューサーのもとで『独立愚連隊西へ』(1960年)や『暗黒街の弾痕』(1961年)で準主役張り着実に大物振り発揮しだしていたが、大学出たばかりの加山演技お世辞にも演技といえるものではなかった。そこで満を持して藤本は、本格的に加山雄三売り出すことにし、戦前松竹蒲田清水宏監督により映画化され加山と同じ慶應義塾大学出身慶應ではラグビー部所属していた藤井貢主演大学若旦那シリーズ』を東宝現代風にアレンジする企画立てた。(これに先立ち1958年東宝瀬木俊一主演で『若旦那三代目』という作品製作した酒屋三代目大学スポーツ花形選手という設定は、若大将プロトタイプと言って良いだろう。瀬木シリーズは2作品作られ主役高島忠夫交代させ、社会人シリーズとして継続された。)加山呼んできて生い立ちなど聞きお婆ちゃん子であったことや、ドカ弁1日5食だという逸話など取り入れて加山等身大主人公像を作り上げたのだったメインライター笠原良三だったが、超売れっ子映画各社掛け持ち多く東宝文芸部の田波が大枠書いていた。第1作大学の若大将』の浄化槽焼肉をするのも田波のアイデアだった。 実は、『大学の若大将』の第1稿ではマンホールの蓋焼肉を焼くというものだったが、藤本から「良識ある大学生がするもんじゃない。人が落ちたどうするんだ」とクレームがついてしまった。だが、ギャグこだわった田波は、公道マンホールダメなら大学構内浄化槽にして、プロデューサー意見逆手取り入れて管理人片足落すことにした。1961年7月公開された『大学の若大将』は、加山自身演じた等身大ヒーロー像が受けて大ヒットとなった。しかも劇場では、この浄化槽ギャグ大受けだった。さっそく藤本プロデューサー二作目の製作を指示したが、「この次もマンホールの蓋で肉を焼くギャグ考えてくれ」と注文付け田波をあきれさせた。こうして若大将シリーズ始まった

※この「シリーズ誕生」の解説は、「若大将シリーズ」の解説の一部です。
「シリーズ誕生」を含む「若大将シリーズ」の記事については、「若大将シリーズ」の概要を参照ください。

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