シトウの作品とは? わかりやすく解説

シトウの作品

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/21 05:46 UTC 版)

ミケル・シトウ」の記事における「シトウの作品」の解説

ミケル・シトウの名は数百年にわたって知られていなかった。1914年美術史家マックス・ヤーコプ・フリートレンダー (de:Max Jakob Friedländer)が、カスティーリャ女王イサベル1世宮廷画家だった「マスター・ミケル」が、スペインブルゴス近く発見された『聖母子像』と『カラトラバ騎士団騎士たち』が両翼描かれ二連祭壇画製作者ではないかという仮説立てたその後数十年かけて学者たちがスペインネーデルラントデンマーク絵画制作行った「マスター・ミケル」の作品調査することとなる。そして1940年バルト・ドイツ人歴史家パウロ・ヨハンセンが、レバル出身ミケル・シトウこそが「マスター・ミケル」であるということ突き止めたシトウ小さな宗教絵画と肖像画もっぱらとした画家で、ときに哀愁をおびた作風となっている。その作風は師であるハンス・メムリンク影響で、フランス王家に仕えた芸術家ジャン・ ペレアル (en:Jean Perréal) の優美な影響わずかながら見られるシトウ緻密やわらかな彩色効果を出すために半透明絵具の何層にも塗り重ね光線効果質感描き出している。E. P. リチャードソンシトウ絵画を「少し後の時代ファン・ダイクのような画家である。優れた宗教画家であるだけでなく、肖像画家としても極めて優れているシトウ肖像画当時作品では最高のもので、生き生きとして気取っておらず、さわやかに上品で慎み深い絵画である」としている。 現在間違いなくシトウの作品であるとされている絵画はほとんどなく、シトウの作品を特定するのは非常に困難である。その生涯記録はよく残っているにもかかわらず確実にシトウの作品とされているのは、女王イサベルのためにフアン・デ・フランデス中心となって描いた作品のうち、わずか2枚の非常に小さパネル絵だけで、どちらかといえば出来良いとはいえない絵画である。肖像画ではワシントンナショナル・ギャラリー所蔵の、ブルゴーニュハプスブルク宮廷仕えたスペイン貴族ドン・ディエゴ・デ・ゲバラを描いた肖像画と、二連祭壇画構成していた聖母子像が、まず間違いなくシトウの作品であろう考えられている。デ・ゲバラの庶子フェリペが、シトウ作のデ・ゲバラの肖像画について言及している。 シトウではないかとされている絵画にはサイン日付入っておらず、はっきりと制作年分かっているのはデンマーク王クリスチャン2世肖像画だけである。現在30上の絵画がシトウの作品ではないか考えられているが、そのほとんどは未だに間違いなくシトウの作品であるとは特定されていない記録残っているシトウ多く絵画とほとんどすべての彫刻現存していないのである

※この「シトウの作品」の解説は、「ミケル・シトウ」の解説の一部です。
「シトウの作品」を含む「ミケル・シトウ」の記事については、「ミケル・シトウ」の概要を参照ください。

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