シトウの作品
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ミケル・シトウの名は数百年にわたって知られていなかった。1914年に美術史家マックス・ヤーコプ・フリートレンダー (de:Max Jakob Friedländer)が、カスティーリャ女王イサベル1世の宮廷画家だった「マスター・ミケル」が、スペインのブルゴス近くで発見された『聖母子像』と『カラトラバ騎士団の騎士たち』が両翼に描かれた二連祭壇画の製作者ではないかという仮説を立てた。その後数十年かけて学者たちがスペイン、ネーデルラント、デンマークで絵画制作を行った「マスター・ミケル」の作品を調査することとなる。そして1940年にバルト・ドイツ人歴史家パウロ・ヨハンセンが、レバル出身のミケル・シトウこそが「マスター・ミケル」であるということを突き止めた。 シトウは小さな宗教絵画と肖像画をもっぱらとした画家で、ときに哀愁をおびた作風となっている。その作風は師であるハンス・メムリンクの影響で、フランス王家に仕えた芸術家ジャン・ ペレアル (en:Jean Perréal) の優美な影響もわずかながら見られる。シトウは緻密でやわらかな彩色効果を出すために半透明の絵具の何層にも塗り重ね、光線の効果と質感を描き出している。E. P. リチャードソンはシトウの絵画を「少し後の時代のファン・ダイクのような画家である。優れた宗教画家であるだけでなく、肖像画家としても極めて優れている。シトウの肖像画は当時の作品では最高のもので、生き生きとして気取っておらず、さわやかに上品で慎み深い絵画である」としている。 現在間違いなくシトウの作品であるとされている絵画はほとんどなく、シトウの作品を特定するのは非常に困難である。その生涯の記録はよく残っているにもかかわらず、確実にシトウの作品とされているのは、女王イサベルのためにフアン・デ・フランデスが中心となって描いた作品のうち、わずか2枚の非常に小さいパネル絵だけで、どちらかといえば出来が良いとはいえない絵画である。肖像画ではワシントンのナショナル・ギャラリー所蔵の、ブルゴーニュのハプスブルク宮廷に仕えたスペイン貴族ドン・ディエゴ・デ・ゲバラを描いた肖像画と、二連祭壇画を構成していた聖母子像が、まず間違いなくシトウの作品であろうと考えられている。デ・ゲバラの庶子フェリペが、シトウ作のデ・ゲバラの肖像画について言及している。 シトウ作ではないかとされている絵画にはサインも日付も入っておらず、はっきりと制作年が分かっているのはデンマーク王クリスチャン2世の肖像画だけである。現在30以上の絵画がシトウの作品ではないかと考えられているが、そのほとんどは未だに間違いなくシトウの作品であるとは特定されていない。記録に残っているシトウの多くの絵画とほとんどすべての彫刻は現存していないのである。
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