サイコロと文化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 18:27 UTC 版)
サイコロは古くから運命をつかさどるものと看做されることが多く、例えば浄土宗の開祖・法然上人も六面に南無阿弥陀佛と記されたサイコロを使って占いをしたと文献に記されている。またチベット仏教でも、サイコロ占いの手引書がラマ僧によって著されるなど仏教の根本的な思想との関わりが深い。 また、比喩として引用されることも多い。有名なものでは以下のものなどが挙げられる。 カエサルが元老院に逆らい、ルビコン川を越えて南側のガリア・キサルピナに踏み入った時、率いていた軍勢に「賽は投げられた (alea iacta est)」と述べたとされる。運命の歯車は既に回ってしまった、といった意味で使われる。 『平家物語』によれば、白河法皇が権勢を誇った頃、どうしても自分の思い通りにならない天下の三不如意として「加茂川の水、双六の賽、山法師」の三つを挙げたという。 アルベルト・アインシュタインは量子力学の確率による世界観に対し、「神はサイコロを振らない」と表現して批判をした。 いい加減なことを示す「でたらめ」の語源は「出たら目」、すなわち賽の目の通りに行動することが由来とされている。「出鱈目」と表記される事もあるがこれは当て字。 また、時にサイコロは一般的な形状から立方体、あるいは漠然と四角形を比喩することがある。調理法の賽の目切り(サイコロのように立方体に切っていくこと。サイコロステーキやミックス・ベジタブルなどに見られる)などはその例である。欧米においても同様の切り方を「Diced」(Diceは英語でサイコロのこと)と呼ぶ。
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