コレクト・ポンド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/17 03:11 UTC 版)
「ファイブ・ポインツ (マンハッタン)」の記事における「コレクト・ポンド」の解説
マンハッタンにヨーロッパ人入植が始まって200年あまり、増加する人口への主要な飲料水の源がコレクト・ポンド(英語版)(もしくはフレッシュ・ウォーター・ポンド)であり、魚も豊富であった。 池はおよそ19ヘクタール(48エーカー)を占め、18メートル(60フィート)の深さがあった。地下水脈から水の供給があり、谷に位置し、北東部にはベイヤード山(標高34メートルもしくは110フィートで、ロウアー・マンハッタンの最も高い丘)があった。池から北へ、次いで塩沼(当地は干拓の実施後に、「リスペナード草地」の名を持つ草地となった)を通過して西に向かい、ハドソン川へ至る流れと、池の南東部から発して東方向にイースト川へ向かう別の流れがあった。18世紀には、夏は行楽地、冬はスケート場として大勢の人で賑わっていた。 しかし、大量の水を必要とする事業所も立地するようになった。これはコールタード醸造所(英語版)、ニコラス・ベイヤード(英語版)の屠畜場、南東岸にある無数の皮なめし場、南南西岸のポット・ベイカーズ・ヒルにおけるドイツ系移民ヨハン・ヴィレム・クロリウス(英語版)とヨハン・レメイの陶器製作所などであった。池を取り巻いた各事業から汚染された廃水が池に垂れ流され、水質汚染が顕著となり、付近の住人の健康被害の危険が高まった。 ピエール・シャルル・ランファンが、池を浄化し周囲を公園化するという提案をしたが、彼の提議は退けられ、池の埋め立てが決定した。埋め立ては1811年に完了し、間もなく中産階級向けの家屋が建てられた。 埋め立ての施工はずさんなものであった。埋められた植生はメタンガス(分解作用の副産物)を発し始め、地盤沈下して多くの建物に傾きが生じた。また、低地にもかかわらず雨水管などの排水設備がなかったため、未舗装の通りはしばしば人間や動物の排泄物と混淆した30㎝の深さの泥に埋まり、よどんだ水たまりに蚊が繁殖した。 中産・上流階級の住民は大半が地域から逃れてゆき、ファイブ・ポインツは1820年代の初頭から到着し始めた貧しい移民の居住地となった。1840年代には大飢饉から逃れてきたアイルランド系カトリック教徒の流入がピークを迎えた。
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