コリンズの記憶
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「マイケル・コリンズ (政治家)」の記事における「コリンズの記憶」の解説
コリンズはアイルランドの歴史における「偉大な人物」の一人として語り伝えられる。アイルランドの自由獲得という困難な目標の達成を賢明かつ大胆に推し進めたコリンズの死は、生まれたばかりのアイルランド共和国の大きなダメージとなった。内戦中、コリンズは自らへの敵対をあらわにしていた北アイルランドのIRAに対しても支持と援助をやめなかった。コリンズの死後、条約賛成派によって北アイルランドのIRAへの援助は即座に打ち切られた。コリンズの死のわずか10日前に、もう一人の独立運動の英雄アーサー・グリフィス大統領も過労で世を去っている。コリンズの最後の公務はグリフィスの葬儀への参列であった。コリンズは盟友グリフィスと共にダブリンのグラスネヴィン・セメタリーに葬られた。 同僚たちは、コリンズが自らの運命を予見していたかのような発言をしていたことを思い出して悲痛な思いにかられた。条約締結時、イギリス政府代表のバーケンヘッド卿は、このような条約にサインすることで、アイルランドを失った責任者として自分はイギリス国民から非難されるであろうといい、この証書はまさに自らの政治生命に対する死刑宣告証になると嘆いた。コリンズはそれを聞いて、自分にとっては本当の死刑宣告になるだろうと次の様に言ったという。 あなたがこの交渉で苦労したことで、悪夢に悩み、ロンドンの暗い夜の中で絶望的な気分になったときは思い出してほしい。いったいこの私はアイルランドのために何を手にいれたのか、それこそが700年近くアイルランドが望み続けたものではないのか?しかし誰もこの交渉の結果に満足してくれるものはないだろう。今朝私がサインしたこの書類はまさに私にとって死刑宣告書だ。私はかつて銃弾を駆使して戦ったが、その同じ銃弾に打ち抜かれることになるだろう。 コリンズと共にアイルランドの自由のために戦った同志たち、エイモン・デ・ヴァレラ、ウィリアム・コスグレイヴ、リチャード・マルケイ、エオイン・オ・デュフィ(英語版)らは長命したがゆえに、困難をきわめた国づくりにおける失敗や醜い面の印象を人々に残すことになった。コリンズは若くして死んだために、平和時特有の複雑な問題を抱え込むことなく世を去り、人々の心に若い面影だけを残した。 デ・ヴァレラについて人々の印象に残っているのは、年老いて目も見えなくなった1960年代から1970年代にかけての姿であり、コスグレイブは世界恐慌のあとで国家財政の崩壊を食い止められなかった無能な財務家、マルケイは内戦時に反対派を次々と処刑した冷酷な政治家、オ・デュフィはファシズムにかぶれた警官あがりの政治家といった印象しか残していないことを考えれば、早くに世を去ったコリンズが、若々しく力強い指導者、アイルランドに自由をもたらし、人々に勇気を与えた英雄としての良い思い出だけを残したことは幸いだったのかもしれない。アイルランドの苦しみは独立後も長く続くことになる。 1996年に公開された映画『マイケル・コリンズ』では、リーアム・ニーソンがコリンズを演じている。 コーク県コーク市にあるアイルランド陸軍(英語版)の兵舎はコリンズ兵舎(英語版)と呼ばれており、第1旅団(英語版)の司令部が置かれている。 ダブリンにも同じくコリンズの名を冠したコリンズ兵舎(英語版)が置かれていたが、こちらは1997年に閉鎖され、現在ではアイルランド国立装飾芸術・歴史博物館(英語版)となっている。
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