コスチュームショーとしての興り
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「コスプレ」の記事における「コスチュームショーとしての興り」の解説
記録として残るコスチュームショーとして最初の受賞は1912年5月24日ワシントン州にて開催された「仮面舞踏会(Masquarede Ball)」で、氏名不詳の女性によるコスプレであったと伝わる。題材となったものは1908年より描かれた「Mr.Skygack From Mars(火星から来たスカイギャック)」というアメリカンコミックの主人公・スカイギャックである。この報道は当時存在した地元紙であるタコマタイムズが伝えた。 1939年より世界SF大会が開催され、第1回大会ではコスプレ大会は行われずこの時にはフォレスト・J・アッカーマンとマートル・R・ダグラスの2名だけがコスプレ参加者だったと伝わる。題材としたものはハーバート・ジョージ・ウェルズが1933年に執筆し1936年に映画化されたSF作品The Shape of Things to Come(映画ではThings to Come。和名「世界はこうなる」)であった。第2回大会よりコスプレ大会(当時はまだ"The Masquarade"と呼ばれている)が開催された。優勝者はフラッシュ・ゴードンの悪役であるミン皇帝のコスプレであった。 1950年代に入るとハロウィンの文化にも変化を及ぼし始め、世界SF大会参加者でなくとも成人した男女を問わず仮装を行う風習が芽生え始めた。1960年代に入るとコミコンの前身となるアカデミーコン(Academy of Comic-Book Fans and Collectors(ACBFC))が開催され始める。コスプレ参加者の中には後にマーベル・コミックの編集長となるロイ・トーマスの姿もあった。 第二次世界大戦後、日本においてもアメリカで主に開かれる世界SF大会の影響を強く受けた日本SF大会で1960年代末から1970年代に既にコスチューム・ショーとしてプログラムの中に取り入れられていた。日本SF大会におけるコスプレは、1974年の京都大会からショウアップが行われて翌年から定着したとされる。 1978年に神奈川県芦ノ湖で開催された第17回日本SF大会の仮装パーティーに於いて、当時はファンの一人だったSF評論家の小谷真理やひかわ玲子らで構成されたファンタジーサークル「ローレリアス」が、エドガー・ライス・バローズの『火星の秘密兵器』(創元SF文庫)の表紙イラスト(武部本一郎によるもの)を真似た格好で参加。他の参加者がその姿を見てアニメ『海のトリトン』の仮装だと勘違いし、本人も強く否定しなかったことから、いつの間にかトリトンが日本のコスプレ第1号と言われるようになったとされる。その後も日本SF大会ではコスプレのコンテストが行われた。
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