コスチュームショーとしての興りとは? わかりやすく解説

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コスチュームショーとしての興り

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 09:47 UTC 版)

コスプレ」の記事における「コスチュームショーとしての興り」の解説

記録として残るコスチュームショーとして最初受賞1912年5月24日ワシントン州にて開催された「仮面舞踏会(Masquarede Ball)」で、氏名不詳女性によるコスプレであったと伝わる。題材となったものは1908年より描かれた「Mr.Skygack From Mars火星から来たスカイギャック)」というアメリカンコミック主人公・スカイギャックである。この報道当時存在した地元紙であるタコマタイムズが伝えた1939年より世界SF大会開催され第1回大会ではコスプレ大会行われずこの時にはフォレスト・J・アッカーマンマートル・R・ダグラスの2名だけがコスプレ参加者だったと伝わる。題材したものハーバート・ジョージ・ウェルズ1933年執筆し1936年映画化されSF作品The Shape of Things to Come(映画ではThings to Come。和名「世界はこうなる」)であった第2回大会よりコスプレ大会当時はまだ"The Masquarade"と呼ばれている)が開催された。優勝者フラッシュ・ゴードン悪役であるミン皇帝コスプレであった1950年代に入るとハロウィン文化にも変化及ぼし始め世界SF大会参加者でなくとも成人した男女問わず仮装を行う風習芽生え始めた1960年代に入るとコミコン前身となるアカデミーコン(Academy of Comic-Book Fans and Collectors(ACBFC))が開催され始める。コスプレ参加者中には後にマーベル・コミック編集長となるロイ・トーマスの姿もあった。 第二次世界大戦後日本においてもアメリカで主に開かれる世界SF大会影響強く受けた日本SF大会1960年代末から1970年代に既にコスチューム・ショーとしてプログラム中に取り入れられていた。日本SF大会におけるコスプレは、1974年京都大会からショウアップが行われて翌年から定着したとされる1978年神奈川県芦ノ湖開催され第17回日本SF大会仮装パーティーに於いて当時ファン一人だったSF評論家の小谷真理ひかわ玲子らで構成されたファンタジーサークル「ローレリアス」が、エドガー・ライス・バローズの『火星秘密兵器』(創元SF文庫)の表紙イラスト武部本一郎よるもの)を真似た格好参加。他の参加者がその姿を見てアニメ海のトリトン』の仮装だと勘違いし本人強く否定しなかったことから、いつの間にトリトン日本コスプレ第1号と言われるようになったとされるその後日本SF大会ではコスプレコンテストが行われた。

※この「コスチュームショーとしての興り」の解説は、「コスプレ」の解説の一部です。
「コスチュームショーとしての興り」を含む「コスプレ」の記事については、「コスプレ」の概要を参照ください。

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