ゲーリングの関与
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「全国指導者ローゼンベルク特捜隊」の記事における「ゲーリングの関与」の解説
外務局長という地位にこそあったものの、権力闘争に敗れたローゼンベルクの政治権力と人望は極めて限られていた。例えばフランスにおける最初の略奪の折、ローゼンベルクはパリの占領軍司令官に略奪品の本国移送を命じているが、司令官はこれを拒否したばかりか、逆にローゼンベルクらによる略奪の中止を命じてきたのである。ここでERRに手を貸したのが空軍総司令ヘルマン・ゲーリングであった。当時NSDAPのナンバー2として権力を振るい、またローゼンベルクとは比較にならない人望を持ちあわせていたゲーリングは、占領地における略奪への協力を決定し、パリの在仏空軍司令部と鉄道、および党組織である外貨保護部隊(ドイツ語版)などに全面的なERRの支援を行わせた。ERRと美術品の所有権について衝突するようになると、ゲーリングはERRに部下を潜り込ませ、特定の美術品を優先して自分の元へ送らせた。例えば在仏ERR隊長(Leiter des ERR in Frankreich)および在仏造形芸術担当特務幕僚 (Sonderstab Bildende Kunst in Frankreich) を務めていたクルト・フォン・ベーア(ドイツ語版)はローゼンベルクよりもゲーリングの要望を優先して活動に当たっていた。在ベルリンERR隊長だった特務幕僚ゲルハルト・ウティカール(ドイツ語版)もローゼンベルクを軽視してゲーリングの命令に従っていた。ゲーリングはまた写真家や美術史家を空軍および陸軍の一部から引き抜いてパリの特務幕僚部に派遣していた。美術史家ギュンター・シートラウスキー(ドイツ語版)や写真家カール・クレス (Karl Kress) は東部戦線派遣の免除と引き換えに特務幕僚部に移ったということもあり、ゲーリングに対して非常に忠実であったという。パリの特務幕僚部指導者だったブルーノ・ローゼ(ドイツ語版)は、ベルリン出身の美術史家兼美術商で、ERR配属までは陸軍の戦車猟兵科伍長勤務二等兵として東部戦線に従軍していた。その経歴を評価され、ローゼは1ヶ月間の期限付きでパリのERRに出向する。そして略奪品展示会の折にローゼと出会ったゲーリングは、彼が持ち合わせる17世紀オランダ画家に関する専門知識に感銘を受け、出向ではなく正式な特務幕僚としてパリに迎えたのである。まもなく視覚芸術担当特務幕僚副長となったローゼは空軍軍人としての身分を得てパリ司令部内に勤務した。ゲーリングのパリ訪問にあわせて催される略奪品展示会の責任者もローゼであり、1941年から1942年の間に20回ほどの展示会が開催された。また、古美術品市場にてゲーリングの代理人として品物を探すのもローゼの任務であった。多くのERR隊員がローゼンベルクではなくゲーリングの為に働いていたが、この中でもローゼは完全にERRの権限・任務を逸脱し、ゲーリングの要望によってのみ働いていた。
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