ゲーリング時代
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1923年1月にフランス軍が「ドイツのヴェルサイユ条約不履行」を理由にルール地方を占領した。ドイツ陸軍総司令官ハンス・フォン・ゼークト大将は憤慨し、「フランスによる不法占領には再軍備で答える」と宣言した。その影響で突撃隊もミュンヘンの国軍第7軍管区司令部から民間防衛組織として軍の指揮下に入る事を求められた。ヒトラーは当初嫌がっていたが、レームの説得でしぶしぶ了承した。こうして3月から突撃隊は軍の訓練を受ける事となった。 しかし突撃隊の実質的な指揮権までも軍に奪われる事を恐れたヒトラーは、レームの息のかかったクリンチュを解任して自身の熱心な支持者であったヘルマン・ゲーリングを代わりの突撃隊司令官に任じている。ゲーリングはエアハルト旅団から参加した信用のおけない隊員を一掃し、突撃隊をヒトラーに忠誠を誓う組織に改編していった。ゲーリングは突撃隊を3個大隊からなる1個連隊で編成し、13個中隊で1個大隊を構成させた。連隊長にはヴィルヘルム・ブリュックナーが就任した。隊員数も増し、1923年11月のミュンヘン一揆までに3000人ほどになった。
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