クローザー転向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 07:50 UTC 版)
「フランシスコ・ロドリゲス」の記事における「クローザー転向」の解説
2005年は前年限りでエンゼルスを退団したトロイ・パーシバルに代わり、チームの抑え投手となる。4月5日の開幕戦で1イニングを無失点に抑えて初セーブを挙げたロドリゲスは、その後も順調にセーブを積み重ねていった。9月21日には40セーブ目を記録し、24歳未満の若さでシーズン40セーブという史上2人目の記録を達成。最終的には45セーブを挙げ、クローザー転向1年目から最多セーブのタイトルを獲得した。 2006年はシーズン開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のベネズエラ代表に選出された。チームは2次リーグで敗退したが、ロドリゲスはチームが勝った3試合全てで最後の1イニングを締めた。 シーズンでは2年連続リーグ最多かつ球団新記録となる47セーブ。9月10日には、MLB史上最年少で通算100セーブに到達している。シーズン終了後は2年ぶりに日米野球に参加する予定だったが、故障のため参加を取りやめた。その後、ロドリゲスとエンゼルスは年俸調停を回避し、1年700万ドルで再契約した。 2007年はシーズン開幕直後、不正投球疑惑が取り沙汰されるトラブルに巻き込まれる。"The Cheater's Guide to Baseball" というブログが「帽子のひさしの裏に白い異物を塗布し、それを指につけて投球している」と報じたもので、ロドリゲスは「隠し事なんてしていないから、いつでもチェックしたいときにすればいい」と疑惑を否定した。結局この件はお咎めなしとなり、前半戦37試合で24セーブ・防御率2.33という成績を残す。オールスターゲームには3年ぶりに選出され、試合ではアメリカンリーグのクローザーとして初セーブ。シーズン全体では、45セーブのジョー・ボロウスキーには及ばなかったものの、リーグ2位タイの40セーブを挙げ、3年連続40セーブを達成した。ただポストシーズンでは、ボストン・レッドソックスとのALDS第2戦で、同点の9回裏一死一塁の場面で登場するもマニー・ラミレスにサヨナラ3点本塁打を喫し、チームが3戦3敗で敗退する一因となった。この時点でロドリゲスのFA権取得まであと1年となり、球団は契約延長交渉に臨むが、これが難航。11月にはエンゼルス側が3年3400万ドルという条件を提示したが、ロドリゲス側はこれを拒否した。結局、複数年契約を締結することはできず。2008年の契約も両者合意とならぬまま年俸調停へと進み、球団側が1000万ドルを提示したのに対してロドリゲス側は1250万ドルを要求。裁定は、球団側の主張を認めロドリゲスの年俸を1000万ドルとした。
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