クリスティン・コリンズに降りかかった災難
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 19:55 UTC 版)
「ゴードン・ノースコット事件」の記事における「クリスティン・コリンズに降りかかった災難」の解説
「チェンジリング (2008年の映画)」も参照 ウォルター・コリンズ(当時9歳)は1928年3月10日にロサンゼルスの自宅から行方不明になっており、全米の注目を集めていた。ロサンゼルス市警察は5ヵ月後にイリノイ州でウォルターを発見し、母親のクリスティンに引き渡した。しかし発見された少年は、成長期であるにもかかわらず身長が低くなっている、歯の治療記録、教師の証言により明らかにウォルターではなく別人であるとクリスティンは主張していた。 市警察はクリスティンの訴えに取り合わないだけでなく、彼女を「警察が認定した事実を認めない異常者」として精神病院(ロサンゼルス郡立病院精神科閉鎖病棟)に強制入院させた。だがゴードンの自白によりウォルターが殺害されていたことが明らかになり、クリスティンは退院する。もし警察が初めからきちんと捜査していればウォルターを救出できた可能性もあり、そもそも警察が連れてきた少年は何者かということが問題になった。 この異常な展開により、警察の癪に障った者は異常者と決め付け精神病院送りにするという当時の市警察の腐敗体質が暴露された。ウォルターとされた少年はアーサー・J・ハチンズ・ジュニア(Arthur J. Hutchins, Jr.)であった。彼が後に語った、自分がウォルターであると偽った理由は、継母と折り合いが悪く遠くに行きたかった、L.A.に行けば映画スターたちに会えると思ったためというものであった。ウォルター捜索の担当であった市警察失踪人課警部J・J・ジョーンズは明らかに違う事に気づくはずなのに、自身の功名心のためにアーサーの幼稚な芝居に加担したばかりか、真相究明を求めるクリスティンを精神病扱いした。彼女は自らを精神病院送りにしたジョーンズに対して民事訴訟を起こし勝訴したが、発見された骨片がウォルターのものかどうか判らなかったことから、息子の生存を終生信じていたという。ジョーンズとデーヴィス市警本部長は後に免職・罷免された。また再選を目指していた時の市長ジョージ・クライアー(en:George E. Cryer)も立候補を取りやめた。
※この「クリスティン・コリンズに降りかかった災難」の解説は、「ゴードン・ノースコット事件」の解説の一部です。
「クリスティン・コリンズに降りかかった災難」を含む「ゴードン・ノースコット事件」の記事については、「ゴードン・ノースコット事件」の概要を参照ください。
- クリスティン・コリンズに降りかかった災難のページへのリンク