キング・クリムゾン時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 18:45 UTC 版)
「イアン・ウォーレス」の記事における「キング・クリムゾン時代」の解説
1970年末、ウォーレスは居候主のキース・エマーソンから、プログレッシブ・ロック・バンドのキング・クリムゾンが、脱退したボーカリスト兼ベーシストのゴードン・ハスケルの後任のオーディションを行っていると聞き、ボーカリストに応募した。結果は不合格であったが、リーダーのロバート・フリップにドラミングの技量を見込まれ、ハスケルに引き続いてキング・クリムゾンを脱退したアンディ・マカロックに代わるドラマーとして加入することになった。 新しいキング・クリムゾンはフリップ(ギター、メロトロン)、ウォーレス(ドラムス、バック・ボーカル)、ボズ・バレル(リード・ボーカル、ベース・ギター)、メル・コリンズ(サックス、フルート、メロトロン)、ピート・シンフィールド(作詞、照明、FOH・サウンド・エンジニアリング、VCS3・シンセサイザー)の顔ぶれでライブ活動を開始。1971年4月にドイツのフランクフルトで4回のコンサート、5月から10月末までイギリス・ツアー、11月から約1か月間のアメリカ・カナダ・ツアーを行い、7月からはライブ活動と並行して4thアルバム『アイランズ』を制作して12月に発表した。ウォーレスは、多彩で複雑な楽曲を柔軟なスティックさばきで演奏し、また「レディース・オブ・ザ・ロード」ではコーラスにも参加した。 しかし、神秘主義や霊的な世界観にインスピレーションを求め続けるフリップと、アメリカでソウルやブルースの影響をより強く受けたウォーレス、バレル、コリンズとは、音楽の方向性を巡って互いの間の溝を深めていった。『アイランズ』のリリースから間もない1971年の暮れに、フリップと同じく結成以来のメンバーで全曲の作詞を担当してきたシンフィールドが、フリップと対立して解雇された。そして1972年の年明けのリハーサルで、フリップとウォーレス達との間に決定的な対立が生まれた結果、解散が決定された。しかし契約を盾に取った所属事務所に押し切られる形で、2月から契約履行のアメリカ・ツアーを開始。ツアーの最中、ウォーレス達はバンドの存続を希望したがフリップに受理されなかったので、一緒にツアーを行ったブリティッシュ・ブルース・ロックの巨頭・アレクシス・コーナーに接近していった。ウォーレスはコーナーのステージに飛び入り参加してフリップを悩ませたという。4月にツアーが終了すると同時にキング・クリムゾンは解散。ウォーレス、バレル、コリンズはコーナーと「スネイプ」を結成した。このアメリカ・ツアーの模様は、ライブ・アルバム『アースバウンド』に編集されて、同年、発表された。
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