キング・クリムゾン加入から死去まで(2013年 - 2020年)
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「ビル・リーフリン」の記事における「キング・クリムゾン加入から死去まで(2013年 - 2020年)」の解説
2013年9月6日付けのオンライン日記で、ロバート・フリップは、リーフリンをバンドの3人のドラマーのうちのひとりとして含めた、キング・クリムゾンの新しいラインナップを発表した。リーフリンが加入したバンドによる最初の本格的なライブ・リリース(Live in Toronto 2015)から数日後、フリップはリーフリンがバンドを離れ、職務外の長期休暇を取ることに決めたと発表した。これは他のクリムゾン・メンバー全員同意したものであると2016年3月6日に発表された。 2017年初頭、フリップはリーフリンが彼の交代者であったジェレミー・ステーシーと一緒にバンドへ戻ってくることを発表した。数年間、ツアーをしてきてフリップが感じた、満足感を得ることなく前進したいという欲求のために、リーフリンは新しいダブル・カルテット構成の中で「メインの楽器としてドラムを使うよりも、メロトロン、キーボード、フェアリー・ダスティング(天使がたてる埃のような音楽への色付け)に焦点を当てる」役割とされた。そして、キング・クリムゾン史上初である専任のキーボード奏者となった。同年10月から11月にかけてのアメリカ・秋ツアーでは、クリス・ギブソンが代役を務めたのち。翌2018年に再合流した。 2019年、再度の長期休養。そして同年8月、現代画家・イラストレーターである妻フランチェスカ・サンドステン(Francesca Sundsten)が病死。妻は近年、キング・クリムゾンのライブアルバム『ラディカル・アクション〜ライブ・イン・ジャパン+モア』(2016年)や、ボックスセット『Audio Diary 2014-2018』(2019年)のカバーアートを手掛けていた。 妻が亡くなった約半年後の2020年3月24日、59歳で死去。死因は癌であったことが示唆されている。
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