カントによる批判 理性で扱える問題ではないとは? わかりやすく解説

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カントによる批判 理性で扱える問題ではない

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 04:07 UTC 版)

なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」の記事における「カントによる批判 理性で扱える問題ではない」の解説

詳細は「純粋理性批判」および「アンチノミー」を参照 ライプニッツ解答対す批判として、また後の哲学歴史へも強い影響与えることとなった議論として、ドイツの哲学イマヌエル・カント1724年 - 1804年)による形而上学批判がある。1781年出版した純粋理性批判』の中で、カント人間の持つ理性どのようなのであるかを、分析した。そしてその分析を通じて人間理性は、どんな問題でも扱える万能装置ではなく扱える問題について一定の制約限界持ったのであることを論じた。そして人間理性によって扱えないよう問題の例として、カント純粋理性アンチノミーという四つ命題の組を例示し、ライプニッツが行たような形而上学的神学的な議論は、原理的に答え出せない問題であり、哲学者が真剣に議論すべきものではない、と斥けた。 カント純粋理性批判の中で、次の四つアンチノミー例示した。 世界時間的空間的に有限である/世界は無限である 世界はすべて単純な要素から構成されている/世界単純な構成要素ない 世界なかには自由が働く余地がある/世界に自由はなくすべて必然である 世界原因系列をたどると絶対的な必然者に至る/系列のすべては偶然の産物で、世界絶対的必然者は存在しない アンチノミー二律背反)とは、ある命題テーゼ定立)と、その否定命題アンチテーゼ反定立)が、同時に成立してしまうような場合を言う。つまり「Aである」と「Aでない」が、同時に成り立つような場合を言う。この四つ命題の組は、そのどちらを正しいとして矛盾生じるものであり、このどちらか正しという事を、理性によって結論付けることは不可能、つまり議論して仕方のない問題だ、とカント論じたそれぞれについて簡単に内容説明しておくと、第一のものは時間始まりはあるか、空間果てはあるか、という問題第二のものは原子素粒子といったこれ以上分割できない最小構成要素があるかどうか問題第三のものは自由意志決定論問題、そして第四のものは世界第一原因神の存在問題である。 カントによる形而上学批判は、以降西洋哲学大き影響与え神の存在証明宇宙始まりなどの形而上学的な問題は、哲学中心的なテーマとして議論される傾向抑制されていった

※この「カントによる批判 理性で扱える問題ではない」の解説は、「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」の解説の一部です。
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