カロライナ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/13 00:32 UTC 版)
「アメリカ合衆国の植民地時代」の記事における「カロライナ」の解説
詳細は「カロライナ植民地」、「ノースカロライナ植民地」、および「サウスカロライナ植民地」を参照 バージニアより南でイングランドが最初に開拓を試みたのがカロライナ植民地だった。これは民間事業であり、1663年にカロライナの王室勅許を得たイングランドの植民地領主(Lords Proprietors)8人によって資金が出され、南部の新しい植民地もジェームズタウンのように利益が出せることを期待していた。最初に入植の試みが行われたのが1670年になってからであり、この時は南部に移民することに何の特典も無かったので失敗した。しかし領主達が残っていた資本を掻き集めてジョン・ウェストが率いるこの地域への入植隊の費用を出した。この集団は後にチャールストン(当初はチャールズ1世に因んでチャールズタウンと呼ばれた)となる所に肥沃で防御にも適した土地を見つけた。サウスカロライナの当初の開拓者達はカリブ海の諸島と食糧、鹿の毛皮およびインディアンの奴隷という収益の上がる貿易品を見出した。それらは主にイギリスの植民地であるバルバドスからもたらされ、さらにはアフリカ人奴隷も連れてきた。サトウキビのプランテーションで富める島だったバルバドスは、プランテーション農業に大勢のアフリカ人を使った初期イングランド植民地の一つだった。西アフリカの米作地帯から輸入したアフリカ人を通じて1690年代に米の栽培が始まった。この初期植民地時代は、ノースカロライナはまだ辺境のままだった。 まずサウスカロライナが政治的に分離された。その民族構成には当初の開拓者、バルバドス島から来た奴隷を所有し富めるイングランド人開拓者の集団、フランス語を話すプロテスタントであるユグノーが含まれていた。ウィリアム王戦争やアン女王戦争などほとんど間断の無い戦争状態のために商人と農園主の間に経済と政治の面で亀裂を生じさせた。ヤマシー戦争による惨事のために1715年には政治的動揺の10年間が始まった。1729年までに領主政府は崩壊し、領主達はイギリス王室に植民地を買い戻させた。
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