カロライナのスチュアーツ・タウン(1684年)
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「スコットランドによるアメリカ大陸の植民地化」の記事における「カロライナのスチュアーツ・タウン(1684年)」の解説
カロライナ植民地は1680年代初期のイングランドによる植民地だったが、オキルトリーのジョン・コクラン卿やセスノックのジョージ・キャンベル卿がスコットランド人のために交渉して2つの郡を購入した。これにはカロライナ植民地領主の指導者である初代シャフツベリ伯爵アントニー・アシュリー=クーパーの支援もあり、カベナンターに対する天国が意図された。ここのスコットランド人は良心の自由と植民地の自治が保証され、土地はチャールズタウン(現在のサウスカロライナ州チャールストン)からスペイン領地の方向に拡がっていた。 1684年、148人のスコットランド人移民が現在のサウスカロライナ州ポートロイヤルに到着して植民地を建設した。この場所は元フランスやスペインの開拓地だった。スコットランド人移民はその地をスチュアーツ・タウンと名付けた。 入植してからは、スペイン人と同盟したインディアンやチャールズタウンのイングランド人との紛争が続いた。イングランド人はスコットランド人の上に権威を確立しようとし、また魅力的なインディアンとの交易権も確保しようとしていた。スコットランド人移民もしばしばスペイン人と同盟したインディアンやサンタカタリーナにあったスペインの伝道所を襲った。また交易を行うインディアンにはスペイン人を直接襲うことを奨励した。1686年、スペインは報復のために3隻の艦船に150名の兵士を乗せて送り込み、同盟インディアンと共にスチュアーツ・タウンを襲った。スコットランド人移民は疫病が流行ったために防御ができる者はわずか25人しかいなかったので、スチュアーツ・タウンの町は消失した。イングランド人は領主から干渉しないよう警告されていたので、報復措置を採らなかった。
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