カレー包囲戦 (1558年)
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1558年のカレー包囲戦(フランス語:Siège de Calais、英語:Siege of Calais)は、当時神聖ローマ帝国側で第六次イタリア戦争に参加していたスペイン王国のオランダ侵攻を受けて、時のフランス王アンリ2世によって北フランスに緊急招集された王国の中将ギーズ公フランソワが、カレーの地を包囲した戦いのこと。この戦いにより1558年1月8日に、1347年8月4日以来イングランド領となっていた[注釈 1]同市は210年の時を経て、フランス王国領に戻ることになった。
注釈
- ^ カレー包囲戦 (1346年-1347年)参照。
- ^ 1468年にイングランド王エドワード4世の妹マーガレット・オブ・ヨークを第3の妻として迎えたほか、ブルゴーニュ戦争ではフランスと相対し、ハプスブルク家を乗っ取って神聖ローマ皇帝に即位せんとしていたといわれている。
- ^ 時のフランス王アンリ2世を含むヴァロワ=アングレーム家を傍流とするヴァロワ家は、カペー朝のフィリップ3世の4男シャルルが、このピカルディ内の現在エーヌ県とオワーズ県にあたる、ヴァロワ(Valois)という地域に封じられヴァロワ伯となったのが始まりである。
- ^ なお、この年長引く戦争によりスペインともども破産を宣言していた。
- ^ この後ユグノー戦争の間、一時的にスペイン領となる。1598年ヴェルヴァン条約によるユグノー戦争終了に伴って仏領に復帰。
- ^ 1558年11月17日[7]卵巣腫瘍により死去。
- ^ 1558年4月24日結婚。イングランドの政権を握ったサマセット公エドワード・シーモアから逃れていたメアリーはフランス育ちであった。
出典
- ^ Tony Jaques (2007). Dictionary of Battles and Sieges: A-E. Greenwood Publishing Group. p. 184. ISBN 978-0-313-33537-2 2013年4月27日閲覧。
- ^ a b Anna Whitelock, "'Woman, Warrior, Queen': Rethinking Mary and Elizabeth", Tudor Queenship: The Reigns of Mary and Elizabeth, ed. Alice Hunt and Anna Whitelock, (Palgrave Macmillan, 2010), 179.
- ^ バンソン、P154。
- ^ スチュアート、P229 - P230、プロスペリ、P82、石鍋、P173。
- ^ Alain Derville et Albert Vion, Histoire de Calais, Westhoek, 1985.
- ^ a b Pays du Nord, no 81.
- ^ Mary I queen of England Encyclopædia Britannica
- ^ 佐藤、p. 292
- 1 カレー包囲戦 (1558年)とは
- 2 カレー包囲戦 (1558年)の概要
- 3 再編された教区
- 4 参考文献
- 5 関連項目
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