オリジナルの版
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/17 20:32 UTC 版)
「en:History of erotic depictions#Printing」および「性描写の歴史」も参照 オリジナルの版は、銅版画家のマルカントニオ・ライモンディ (Marcantonio Raimondi) によって制作された。(彼の16枚の性交体位図は、ジュリオ・ロマーノがマントヴァに新しく建てられるフェデリーコ2世・ゴンザーガの宮殿パラッツォ・デル・テの建築家の立場で制作した一連の性愛図に基づいている。 )版画は1524年にライモンディによって発表されたが、ローマ教皇クレメンス7世によるライモンディの投獄と銅版画の複製品すべての破壊の原因となった(ロマーノは、それらの制作に取り組む間、詩人ピエトロ・アレティーノが原版の絵を調べに来るまで、版画のことを知らなかった。そして彼はその後追訴されることはなかった――ライモンディとは異なる――ロマーノの絵は一般の人々に提供することが目的ではなかった)。 アレティーノはそれから、銅版画を解説するための16篇の露骨なソネット『ソネッティ・ルッスリオーシ・ディ・ピエトロ・アレティーノ』を書いた。またライモンディを刑務所から釈放させた。イ・モーディはその後、1527年に2度目が出版され、その時は、詩と絵画が一緒であった。歴代の教皇が再三すべての複写品を押収したにもかかわらず再現することができた性愛を扱ったテキストとイメージが初めて組み合わされた。ライモンディは、このときには投獄を免れたが、両方の出来事に対する弾圧は広範囲に行われた。大英博物館にあるわずかな数の断片を除き、残存し得たオリジナルの版はない。そして、おそらく違法に模写された姿勢「1.A」の2組の模写木版画に荒っぽい描写で模写されており、1550年にヴェニスで印刷された、16の姿勢のうち15の姿勢を収録し当時の何編かの文章とともに装幀されたものが、1920年代に発見された。 現在ライモンディのオリジナル作品はおそらく失なわれたにもかかわらず、1550年の木版およびカラッチ版と呼ばれる印刷物(下記参照)の両方が、存続した断片とあらゆる構図と文体の箇所が一致するゆえに、少なくともすべて揃った1組が、16世紀後半まで存続し保管されていたことは間違いないようである。まったく、カラッチ版の彫板工が大英博物館の断片を見ることができ、それらから自身の作品を再構築しなかった限り、偶然であるにはあまりに類似点が多いのである。 しかし、アレティーノのソネットのテクストは残存した。
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