エンブラエル機のパイロットの勾留・裁判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 15:35 UTC 版)
「ゴル航空1907便墜落事故」の記事における「エンブラエル機のパイロットの勾留・裁判」の解説
エンブラエル機は衝突の瞬間に自動操縦が解除され、ウィングレットと左水平尾翼を損傷した。レガシー600の経験が豊富な副操縦士が操縦を受け持ち、機長は通信を行った。しかし何故か通信ができず、付近を飛んでいたポーラエアカーゴ71便(ボーイング747貨物便)に通信を中継してもらった。その後、衝突地点から約160キロメートル離れたセラ・ド・カチンボにあるブラジル空軍基地に緊急着陸を行った。着陸の際は主翼を破損させないように着陸直前にフラップを少しだけ下げ、着陸と同時にフルブレーキをかけ、何とか停止した。 緊急着陸後、乗員はすぐにブラジル空軍とANAC(ブラジルの国立民間航空機関)のメンバーに勾留され、事情聴取を受けた。また二つのブラックボックスも回収され、カナダのオタワにあるカナダ運輸安全委員会(英語版)(TSB)の研究所に送られた。 事故当初、ATCのレーダー上ではエンブラエル機が不規則に上昇下降しながら飛んでいるように記録されていたため「パイロットが新しい機体を自由気ままに操縦していたため、本来の高度を外れ空中衝突した」という報道がされた。しかしパイロットは「フライトプラン通りに37,000フィートを飛んでいた」と証言、ブラックボックスにも37,000フィートを飛んでいたことが記録されていた。また本来作動するはずの空中衝突防止装置(TCAS)が衝突前に一切警報を発していなかった。またフライトデータレコーダーの記録からトランスポンダが止まっていたことが判明、これにより「TCASが停止していたこと」と「管制塔はトランスポンダの情報を参照する二次レーダーではなく、旧型の一次レーダーで捕捉していたため正確な高度を捕捉できていなかったこと」が分かった。 2006年10月2日、エンブラエル機の機長と副操縦士は司法裁判所で裁判を受けた。裁判の中でパイロットエラーの可能性が否定できなかったため、パスポートは調査保留中(同年12月5日までのおよそ2か月間)取り消され、2人は過失致死容疑をかけられ勾留生活が続いた。 その後の裁判において、パイロットはトランスポンダをオンにしなかった理由を説明した。裁判の後、調査のためブラジルの当局が呼び出した際はブラジルに戻ることを約束する文書に署名して彼らはアメリカに帰国した。
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