ウォータイム・ニッケル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/06 21:22 UTC 版)
「5セント硬貨 (アメリカ合衆国)」の記事における「ウォータイム・ニッケル」の解説
1942年中頃から1945年にかけ、いわゆる「ウォータイム(戦時)」・ニッケル硬貨が創り出された。この硬貨の構成は56パーセントの銅、35パーセントの銀、そして9パーセントのマンガンである。マンガンを使用したアメリカ合衆国の硬貨は他に、サカガウィアまたは大統領の肖像が描かれた1ドル硬貨のみである。この戦時中の硬貨はそれ以外の通常の5セント硬貨よりもややくすんでおり、これは1920年から1947年まで製造された多くのイギリスの硬貨と同じく、マンガンが含まれているためだといわれている。しかし、収集向けに販売される貨幣セット版の硬貨は、こうしたくすみが通常の硬貨と比べても目立たない。くすんで見える尤もらしい理由には、このウォータイム・ニッケルが戦争中に流通する中で、硫黄にさらされることがあったために、緩やかな腐食が起こったからではないかという指摘がある。 ウォータイム・ニッケルには裏側のモンティチェロのドーム真上に、合衆国の硬貨史上最も大きな造幣局のマークが刻まれている。このマークは製造された場所であるデンバーの「D」かもしくはサンフランシスコの「S」、フィラデルフィアの「P」の刻印である。1960年代に銀の値段が上昇した際、流通していたウォータイム・ニッケルは消えていった。 ニュージャージー州エリアル出身の人物、フランシス・リロイ・ヘニングが1954年、「1944年」の製造年を付けて違法にウォータイム・ニッケル硬貨の偽造を行った。彼はそれ以前にも5ドル紙幣を偽造した罪で逮捕されている。この偽造された1944年の硬貨は、製造場所のマークを硬貨に加えられていなかったため、すぐに偽造硬貨であると発覚した。また、彼は硬貨に1939年、1946年、1947年、1953年の製造年を刻印して、同様の5セント硬貨偽造を行っている。ヘニングの偽造5セント硬貨は、10万枚以上が一般に出回ったものとみられており、いまだに人々の財布の中に入っている場合もあるという。偽造硬貨を所持することは正式には違法であるにもかかわらず、この硬貨は収集家による市場での取引が行われている。更に、ヘニングはニュージャージー州のコパー・クリークでも20万枚の偽造硬貨を捨てたとされ、およそ1万4千枚しか回収されていない。もう20万枚の偽造硬貨をペンシルベニア州のスクールキル川にも捨てたと考えられている。逮捕された後、ヘニングは5千ドルの罰金と3年の禁固刑が言い渡された。
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