ウィッティントン・ストーン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/09 05:54 UTC 版)
「ウィッティントンと猫」の記事における「ウィッティントン・ストーン」の解説
現在、ロンドンのハイゲイト・ヒルには、ウィッティントン・ストーン(英語版)と称して、ウィッティントン少年が逃亡して到達したという(そしてボウ教会の鐘を聞いたという)俗説に基づいた碑が建てられている。碑上には1964年に猫の横臥像が加えられた。 ウィッティントン・ストーンは、「ハイゲイト・ヒル」にあるが、これはアッパー・ホロウェイ(英語版)の内または境界にあるので、後期伝説のホロウェイと合致する。 石碑は何度か再建されているが、最初の設置年代は不詳である。そもそもは古い十字架が破損した名残りの礎石に過ぎなかったという指摘もあるが、ウィッティントン伝記作家サミュエル・ライソンズ(英語版)は、もしそれが事実としても、古来よりウィッティントンの指標でありえたと説いた。 反対にホロウェイ(英語版)の伝承は古い文献に無く18世紀の脚色に過ぎないので、当地の指標が古来からあるという考えに懐疑的なヘンリー・B・ウィートレイ(英語版)(散文版の編者)もいた。 ウィッティントン・ストーンは遅くとも18世紀末までには当地に実在しており(1795年のストーンの残骸撤去が記録される)、ウィッティントン・カレッジ(英語版)慈善院がハイゲートに移転してきた(1808年)後に創作された伝説ではないことが認められる。 ホロウェイまでの距離だと少年が徒歩で往復するには現実味に欠けるとウィートレイは意見する。また、ボウ教会の鐘が容易に聞こえる範囲内にもないとも言う。また、北の方角にあることから、故郷をめざしたという伝承と一致しない(史実の市長はグロスター出身でこれは西の方角)という考証もされる。 しかし、脚色された内容のほうが、後世の人口に「ウィッティントン伝説」として浸透しており、ウィッティントン・ストーンは本来の伝説どおりの史跡と一般に思われている。
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