イルハン朝への到着
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/27 18:39 UTC 版)
「ラッバーン・バール・サウマ」の記事における「イルハン朝への到着」の解説
サウマとマルコスが旅立った当時、中央アジアでは元軍とオゴデイ家のカイドゥの抗争が起きていた。西方に至る経路の一つである西域北道はカイドゥの支配領域に含まれていたと思われ、彼らは東城から南下し、河西回廊に進んだ。2人は13世紀初頭に滅亡した西夏の故地・夏州を経由して沙州(現在の敦煌市)に到着し、沙州の景教徒のもとで準備を整えて、タクラマカン砂漠の横断に乗り出す。 彼らは水の補給に苦しみながらも、崑崙山脈北麓のチャルクリクのオアシスを経由して、2か月かけてロトン(ホータン)に到着した。ところがホータンはグユクの長子ホク略奪を受けて荒廃しており、ホータンの次に到着したカシュガルも元軍とカイドゥの戦闘で荒廃していた。カシュガルの景教徒から援助とサマルカンドの府大主教への紹介状を受け取り、カイドゥから通行許可証を受け取って道中の安全を確保するために、カイドゥがオルドを置いていたタラスに向かう。タラスでカイドゥからもてなしを受けるが、2人がカイドゥから特許状を与えられたかどうかは定かではなく(あるいは、特許状が実効を持っていなかったためか)、ホラーサーン地方に入った後に数度の盗賊の襲撃に遭う。 2人は所持金と荷物を盗賊たちに奪われながらもホラーサーンの都市トゥースに着き、トゥース郊外のマール・シーオン修道院で現地の僧侶から歓迎を受けた。彼らはネストリウス派の総主教(en:Church of the East)マール・デンハ(中国語版、英語版)から祝福を受けるため、ネストリウス派の総主教庁が置かれていたバグダードを目指して出発した。バグダードへの道中、アゼルバイジャンの中心都市マラーガに到着したとき、彼らはたまたまマラーガを訪れていたマール・デンハと面会することができた。マール・デンハはバグダードへ向かう彼らのために、東方の主教たちへの紹介状を書き、案内役を随行させた。
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