イルハン朝混乱期以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/12/09 07:38 UTC 版)
「タージュ・ウッディーン・ハサン・ブズルグ」の記事における「イルハン朝混乱期以前」の解説
父はイルハン朝の有力武将のひとりで、同王朝の第4代君主・アルグンの娘婿フサイン・キュレゲンである。ハサン自身も1323年にイルハン朝の有力者だったチョバンの娘バグダード・ハトゥンを娶り、スルドス部族のチョバン家の娘婿となった。アブー・サイードが即位すると、北西方面のアゼルバイジャンからアッラーン、ムーガーン、シルヴァーンの諸地方の支配を任された。1327年、チョバンがアブー・サイードと対立して一族が処刑されると、チョバンが有していた「ウルスのアミール」職に就いた。1325年頃、妻のバグダード・ハトゥンがアブー・サイードの目に止まり、その妃となった。正式にバグダード・ハトゥンがアブー・サイードの妃になったのはチョバンが誅殺された後と言われており、ハサンはアブー・サイード側の説得によってやむを得ず離婚したと伝えられている。1332年、ハサンはバグダード・ハトゥンと密通しているとの讒言を受けて、アブー・サイードに逮捕され死刑宣告を受けた。しかし、ハサンの母でアブー・サイードの叔母であったオルジェテイ・ハトゥンから嘆願があったため助命された。また告発は誤りであったため、ハサンは無罪となり、ルーム地方の長官に任じられた。
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