イギリスの抗議とは? わかりやすく解説

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イギリスの抗議

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/02 03:16 UTC 版)

アルプス国家要塞」の記事における「イギリスの抗議」の解説

この方針を受け取った第21軍集団バーナード・モントゴメリー元帥本国連絡しアラン・ブルーク陸軍参謀総長からウィンストン・チャーチル首相に伝えられた。イギリス側アイゼンハワー元帥合同参謀本部en)の頭越しスターリン打電したこと、ベルリン放棄方針合意無し方針転換したことに激怒した抗議のために訪れたブルーク参謀総長見たマーシャル参謀総長は「私はゾッとした。ブルークは本気で怒っている。勝利を目前にしたこの時期に、米英史上最悪対立発生するとは予想外であり、私は何もかも投げ出した気分おそわれた」と記録している。3月29日ブルーク参謀総長統合参謀本部に「確度根拠が低い国家要塞情報」を戦略決定要素とみなす必要はないと、アイゼンハワー元帥戦略批判した電文送った。またこの日、チャーチル首相アイゼンハワー元帥直々に電話したが、「ベルリンはもはや重要な軍事目標ではありません」という返答得たのみであった3月31日チャーチル首相アイゼンハワー元帥電報送りベルリン攻略重要性訴えた。その要旨以下の通り。 「ベルリンを彼らにまかせれば、彼ら(ソ連)に、自分たちにはなんでもできるという自信強化させるだけであろう。」 「ベルリンドイツ国旗ひるがえっている」かぎり、ドイツ政府何度でも疎開を行うであろうし、ドイツ国民も戦い続ける。 全ドイツ抵抗打破するにはベルリン攻略以外になく、これまでの戦略維持するべきである。 しかしまもなく、アメリカ統合参謀本部からブルーク参謀総長電報への返事届いた統合参謀本部からの電報アイゼンハワー元帥見解支持しブルーク参謀総長見解一蹴するものであった4月1日チャーチルルーズベルト大統領親電送り方針の転換求めた。しかしすでに病状悪化していたルーズベルト電報見ず返事出したのはマーシャル参謀総長であったため、返電アイゼンハワー元帥見解支持するものであった。 同じ頃、ソ連側からも「ベルリンはかつての戦略的重要性喪失している」という内容電報届いたアイゼンハワー元帥自身見解ソ連にも理解されていると喜んだが、これは米英側より先にベルリン攻略する方針を持つスターリンが、米英側を「油断」させる意図送ったのだった。 ここにいたってイギリス側方針固執することは出来ずベルリン回避米英軍の既定方針となった米英軍の東進エルベ川までとなり、ベルリン攻略ソ連軍が行うことになった4月15日最高司令官命令によりエルベ川到着した米英軍は南北進撃開始し、翌16日にはソ連軍によるベルリン攻撃始まったベルリンの戦い)。

※この「イギリスの抗議」の解説は、「アルプス国家要塞」の解説の一部です。
「イギリスの抗議」を含む「アルプス国家要塞」の記事については、「アルプス国家要塞」の概要を参照ください。

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