イギリスの攻撃計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/27 02:49 UTC 版)
「ブローニュの襲撃」の記事における「イギリスの攻撃計画」の解説
この1804年を通じて、イギリス首相のウィリアム・ピットは多くの発明家やアマチュアの戦術家に会っていた。彼らは、フランスの侵攻軍が海に出る前に敵を攻撃すべく、新しくかつ奇抜な方法を提案しており、その発想の中には、港の入口に封鎖艦を沈め、夜になると、港の上に時計仕掛けで動くロケット弾を搭載した気球を打ち上げるものや、火船の艦隊を送るものもあった。1804年7月20日、ピットとホーム・ポファム(英語版)はアメリカ生まれの発明家ロバート・フルトンに会った。フルトンは、フランスで潜水艦の設計に携わっていたが、自分の発明した兵器を実用化する際の、フランス海軍の興味はあまり真剣なものとは言えず、イギリスに渡って海軍本部への奉仕を申し出た。フルトンは火船と、魚雷と地雷、そしてその他の爆破装置を組み合わせた攻撃を提案し、ピットはそれに同意した。フルトンとの契約が結ばれ、彼は、その年の終わりごろにやってくるであろう攻撃を見越して、海軍本部と共に装置を作る仕事を割り当てられた。
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