アンティリア諸島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 00:57 UTC 版)
「ツアン・ピッツィガーノ」の記事における「アンティリア諸島」の解説
1424年の地図の中でも最も有名な島々は、大西洋の中央部、噂としてしか知られていなかったアゾレス諸島の西方さらに先に描かれた、アンティリア島周辺の合わせて4つの島々であり、知られている限りでは、これらを描き入れた最初の地図製作者はピッツィガーノであった。島々のうち2つは、大きな長方形をしており、大きく赤く塗られたアンティリア島(ista ixolla dixeno antilia)と、そこから60リーグほど北に位置する青く塗られたサタナゼス島(ista ixolla dixemo satanazes:後の地図では、Satanaxio/Satanagio/Salvagio などと様々に綴られる)である。アンティリア島から20リーグほど西には、小さく青に塗られたイマナ島(Ymana:後の地図ではロイロ島 'Royllo) があり、他方ではサタナゼス島の北方半円形で赤く塗られたサヤ島 (Saya:後の地図ではwhile the Santanazes is capped to the north by the semi-circular red Saya:後の地図では Tanmar / Danmar)が表現されている。 歴史家たちは、ピッツィガーノが1424年の地図にアンティリア諸島を書き込んだのは、コロンブス以前に大西洋を渡ってアメリカ大陸へ往還した者の説明によるのかもしれないと考えてる。しかし、ピッツィガーノがこれらの島々を書き込んだ根拠ははっきりしていない。しばらくの間、ピッツィガーノ兄弟(ピッツィガーノにとって親族、あるいは父祖であったかもしれない)が製作した1367年の地図から示唆を得たのではなかろうかと考えていた。しかし、その後、この考え方は誤りとされた。今日では、伝説の島アンティリア島周辺の諸島を地図に書き込んだ最初の人物がツアン・ピッツィガーノであったことは、大方の見解の一致を見ている。 主要な島であるアンティリア島の名は、ポルトガル語の ante-ilha(「反対側の島」の意)によるものであり、ポルトガル王国と対面する位置にあることを示唆している。これは、古くからイベリア半島に伝わる伝説にある、7人の西ゴート族の司教たちが、174年のウマイヤ朝によるイベリア半島の征服(Umayyad conquest of Hispania)の際に、仲間とともに船に乗って大西洋へと逃れ、島にたどり着いて新たな居を構えた、という話を踏まえている。ピッツィガーノは、後の数多くの地図製作者と同様に、島に7か所の集落を描き、それに名を付けようとしたこのためこの島は、「7つの都市をもつ島」としても知られた。 ポルトガル語で「悪魔の島」を意味するサタナゼス島は、アンティリア島の北方に描かれているが、もっとはっきりしていない。この島は、グリーンランドやヴィンランドに関するノース人のサガの要素が反映されていると見ることもでき、南方のものを篩に掛けるようになっていた当時、この島の先住民とされたスクレリングたちは、島の名が示すように「悪魔」だと説明されたのである。アンティリア島の西にはイマナ島が描かれているが、これはおそらく、ピッツィガーノ兄弟の1367年の地図に描かれた、伝説のマム島(英語版)の異綴りであろう。サヤ島については、さらに何も分からない状態である。 何を資料として踏まえていたにせよ、ピッツィガーノはアンティリア島周辺の諸島を地図に載せ、彼が描いた島の数、大きさ、形状、位置などは、その後の15世紀の地図製作者たちの大部分によって、そのまま複写され、とりわけバティスタ・ベッカリオ(英語版)(1435年)、アンドレア・ビアンコ(英語版)(1436年)、グラツィオソ・ベニンカーサ(イタリア語版)(1462年、1470年、1482年 など)から、マルティン・ベハイムが1492年に製作した地球儀エルダプフェル(英語版)などにも継承された。 ピッツィガーノの1424年の地図には、さらにふたつの伝説上の島が描かれており、そのひとつは三色に塗られた円形の島 braxil でアイルランドのすぐ西に描かれているが、これは伝説の島ブラジル島(英語版)を表しているものと考えられており、先行した時代の地図にも描かれていたものである。その南西にアンティリア諸島との中間あたりに半月形の青く塗られた島があり、ixola de uentura と記されている。この島は、かつてピッツィガーノ兄弟が、1367年の地図で、伝説上のマム島を表現したあたりにあり、ツアン・ピッツィガーノのそれを複製するのが狙いであったかもしれない。しかし uentura をマム島と同一と考えると、イマナ島がどこにあたるのかが問題となってしまう。一説には、ixola de ventura が Illa Verde(「緑の島」すなわちグリーンランド)を指しているともいう。ノース人やアイルランド人からの伝聞に基づいて、当時の地図には記載されている場合があったし、イベリア半島の漁師たちにとって既知のことであったのかもしれない。 イギリスの作家ギャヴィン・メンジーズは、正統派の歴史学とは異なる立場から、アンティリア島をプエルトリコ、サタナゼス島をグアドループに比定し、コロンブス以前に大西洋を渡った者がいたとする議論を提示している。
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