アルバ (衣服)
(アルブ から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/27 05:44 UTC 版)

アルバ(Alba)はカトリック教会、聖公会、ほかプロテスタントの一部といった、西方教会の礼拝で用いられる衣服。日本聖公会では「アルブ」と表記する[1]。
くるぶし迄ある、ゆったりとしたローブであり、通常はひもを用いて腰回りをしめる。
現代
カトリック教会においては、ミサ時の装束として司祭や助祭だけでなく、信徒奉仕者も用いている。司祭や助祭はアルバの上にカズラやストラ、あるいはダルマティカをまとってミサをたてる。カトリック教会においては、第2バチカン公会議以前にはレースの技巧がこらされたアルバがよく用いられたが、現代ではシンプルなアルバが用いられている。
由来
古代ローマで用いられたチュニックがもとになっている。初代教会のころから聖職者の衣装として用いられていたとされる[2]。
当時のチュニックは丈が膝までの半袖であり、一般に毛織物製であったが、礼拝に使用されたものは白い麻などで作成された。このことからラテン語で白色を意味する語"albus"(アルブス)[3]から「アルブ」(アルバ)と呼ばれるようになった。司祭の身の潔浄と潔白を意味する[2]。
脚注
- ^ 神奈川県相模原市にある林間聖バルナバ教会のブログ
- ^ a b 桑山 p15, p18 (1986)
- ^ "Collins Latin Dictionary Plus Grammar" LATIN-ENGLISH p11, reprint 1999, ISBN 000472092X
参考文献
アルブ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 06:04 UTC 版)
ワラキアの大貴族で国土の3分の1を掌握する国内一の実力者。尊大な老人で4代前の公・アレクサンドルの治世には実質、政権を掌握していたが、普段は公の場には出てこない。オスマンへの貢納金支払いを巡る騒動の際にはヴラドに手を差し伸べたが、彼を次第に警戒するようになり、公室評議会で一旦、承認されたシュテファンのモルダヴィア公座奪還戦への派兵提案を圧力をかけて却下させた。自力でモルダヴィア派兵軍を集めるなど、自らに従わないヴラドに激怒し全面蜂起を決意したが、病に倒れる。そのため、ヴラドとの対決は当面は見送られることになった。ヴラドによる大貴族粛清後の戦闘では、兵数では上回っていたものの部下たちが恐怖にかられたこともあってあっけなく敗北。ヴラド自身の手で斬首される前に「覚悟せよ。恐れられる支配者とは孤独だぞ」と言い残し、従容として死に就いた。彼と一族の首は都で晒された。
※この「アルブ」の解説は、「ヴラド・ドラクラ」の解説の一部です。
「アルブ」を含む「ヴラド・ドラクラ」の記事については、「ヴラド・ドラクラ」の概要を参照ください。
「アルブ」の例文・使い方・用例・文例
- アルブミンに関連するか、含んでいるか、または類似しているさま
- 蛋白質(アルブミンまたはゼラチン)と銀酸化物のコロイド調合
- ヨーロッパとアメリカの温帯のアルブツス属のいくつかの常緑低木の総称
- 浅黄色花の大きな房を持つアルブカ属の様々な植物の総称
- 卵型の白い花の開いた枝分かれした房を持つカルコルタス・アルブス
- 血しょう中のアルブミンが異常に少ないこと
- 尿における角のタンパク質の含有(主にアルブミンであるがグロプリンでもある)
- 牛乳の中に生じるアルブミン
- 血清中に生じるアルブミン
- アルブミンという,動植物のタンパク質
- 血清アルブミンという血漿成分
- 尿崩症という,過度の,糖分を含まない色の薄い尿あるいはアルブミンの排泄や,極度ののどのかわき,虚弱,皮膚の乾燥を特徴とする病気
- アルブのページへのリンク