アルブケルケによるポルトガル・ペルシア同盟の締結の試み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/04 00:15 UTC 版)
「ポルトガル・マムルーク海上戦争」の記事における「アルブケルケによるポルトガル・ペルシア同盟の締結の試み」の解説
一方、マムルーク朝側の新たな遠征を恐れていたポルトガルは、ペルシアとの和解を企図し、インド洋の北岸にポルトガルの基地を得てオスマン帝国とマムルークの東部に脅威を与えるため同盟の確立に努めた。アルブケルケはゴアでサファヴィー朝のイスマーイール1世が派遣した大使と会見し、返書を用意すると共にルイ・ゴメスを大使として送り出した。 シャー・イスマイルへの手紙の中で、アルブケルケはマムルークおよびオスマン帝国に対する共同攻撃を提案した。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}もしシャーが陸上でスルタンを倒すことをお望みでしたら、海上で我が主人である国王陛下の艦隊が大いに頼みとなることでしょう。シャーがカイロとその王国全土を支配するのは必然であり、大した障害はないと確信しております。我が主人は海からトルコ人との戦いを大いに手助けするでしょう。つまり、海上では我が主人の艦隊が、陸上ではシャーご自身の軍隊が、ともに敵に大損害を与えるのです —アルブケルケからシャー・イスマイルへの書簡
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