アメリカ東部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 09:06 UTC 版)
アメリカ合衆国におけるユダヤ人の歴史は17世紀初頭より続いており、この時代のユダヤ人はスペインやポルトガルから移民してきたセファルディムが多かった。およそ1830年まではサウスカロライナ州チャールストンに集中していた。ユダヤ人の大量移民は19世紀まではほとんどなく、19世紀中盤になりアシュケナージがドイツより移民を開始しアメリカで商人や小売業に従事した。1880年には約25万人のユダヤ人がアメリカにいたと推測され、ドイツ系は教養があり世俗的(信仰心の薄い)なユダヤ人であった。新ユダヤ人移民が増大したが古参者のセファルディムも依然として影響力を持ち続けた。 東欧におけるユダヤ人迫害の風潮が高まった1880年代になるとアメリカへの移民は劇的に増え、彼らのほとんどはロシア帝国や現在のポーランド、リトアニア、ベラルーシ、モルドバなどの地域に住んでいた貧しい田舎出身のイディッシュ語を使うアシュケナージだった。19世紀後半から200万人超のユダヤ人が移民し、1924年に排日移民法などで移民規制が厳しくなるまで続いた。多くはニューヨーク市とその都市圏に居を構え現在に至る最大のユダヤ人コミュニティが形成された。 20世紀初頭に新たに移民してきたユダヤ人は小さなシナゴーグなどをサポートするためのネットワークを構築。またユダヤ人作家の活動によりアメリカでの生活に溶け込むことができた。第二次世界大戦では50万人(18歳から50歳までのユダヤ人男性の約半数)が徴兵された。戦争後はアメリカの新しいトレンドとなった郊外移住に便乗した結果、ユダヤ人同士が結婚し家庭を持つ比率も高まりユダヤの信仰心も回復した。ユダヤ系の学校の入学者は戦後から1950年代半ばまでに倍になりシナゴーグへの通う人も1930年代の20%から1960年には60%にまで上昇した。近年ではキューバ、ベネズエラ、イラン、北部アフリカ、旧ソ連など様々な国からユダヤ人が移民してきており、彼らもアメリカのユダヤ人コミュニティに溶け込み生活をしている。
※この「アメリカ東部」の解説は、「ユダヤ系アメリカ人」の解説の一部です。
「アメリカ東部」を含む「ユダヤ系アメリカ人」の記事については、「ユダヤ系アメリカ人」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書からアメリカ東部を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。

- アメリカ東部のページへのリンク