アメリカ同時多発テロ事件以後の活動
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「グルブッディーン・ヘクマティヤール」の記事における「アメリカ同時多発テロ事件以後の活動」の解説
2001年9月18日、ヘクマティヤールはアメリカのアフガニスタン侵攻に反対の意を表し、アメリカに同盟するパキスタンに警告を発した。アフガニスタン侵攻によってターリバーン政権が崩壊した後も、ヘクマティヤールは国際連合が仲介した2001年12月5日の和平合意を拒否する姿勢を明確にし、ドイツで締結されたこの和平合意は、アフガニスタンにアメリカの傀儡政権をもたらすことになる、と述べた。 2002年2月10日、イランにおけるイスラーム党のオフィスがすべて閉鎖され、ヘクマティヤール自身もイランから追放された。その後の彼の行方は明らかでない。 ターリバーンが再結集しアメリカと戦闘するのを扶助している、とヘクマティヤールはアメリカによって非難されている。また、アメリカ軍兵士の殺害に報奨金を拠出している科でも非難されている。アメリカに支援を受けている、カルザイ大統領の暫定政府のメンバーからも、戦争犯罪者として繰り返し名指しされた。2002年9月5日の、10名余の死者を出したカルザイ大統領暗殺未遂事件の背後にいたことも疑われている。 複数の報道でチュニジア国内に潜伏中とされたが、2002年5月のアメリカ政府の発表では、カーブル近郊でCIAがプレデター無人偵察機によってヘクマティヤールを狙撃したものの、彼は難を逃れた。 同年9月、ヘクマティヤールは、アメリカに対するジハードを呼びかけるメッセージを録音したテープを公開した。 同年12月25日、ヘクマティヤールがアルカーイダの構成員になろうとしていることがアメリカの諜報機関によって明らかにされた、と伝えるニュースが流れた。同ニュースによると、自分はアルカーイダを援助することができる、とヘクマティヤールは語ったと言う。しかし、翌2003年9月1日に公開されたビデオテープでは、彼はアフガニスタンに展開するアメリカと多国籍軍への攻撃は賞賛したものの、ターリバーンあるいはアルカーイダとの同盟は否定した。 2003年10月1日、ヘクマティヤールはジャラーラーバード、クナル、ローガル、スロビの地方司令官との停戦を宣言し、これらの司令官は外国人とだけ戦うべきだと述べた。 2006年5月、ヘクマティヤールはアルジャジーラにビデオテープを公開し、アフガニスタンの紛争でアメリカを支援しているとイランを非難し、ウサーマ・ビン=ラーディンの側に立って戦闘を行なう用意があることを表明、また、パレスチナ、イラク、アフガニスタンで現在生じている紛争におけるアメリカの関与を糾弾した。 2006年9月、ヘクマティヤールが捕縛されたと報道があったが、これは後に否定された。 2006年12月、パキスタン国内でビデオテープを公開し、「(ムジャーヒディーンに敗北した)ソビエト連邦と同じ運命にアメリカも遭う」と述べた。 2007年1月CNNは「5年前ウサーマ・ビン=ラーディンがトラボラの山岳地帯から脱出するのを自派の兵士が手伝った」とヘクマティヤールが述べたと報道し、またBBCもGEO TVによるインタビューの引用によって「彼ら (ビン=ラーディンとザワーヒリー) が洞穴から出て安全な場所に逃れるのを我々が助けた」とヘクマティヤールの発言を伝えた。 2019年アフガニスタン大統領選挙に出馬。
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