るもい【留萌】
留萌
るもい
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 07:23 UTC 版)
「カムイ (列車)」も参照 1990年 - 1995年に運行されていた快速「るもい」については「運行形態」の節を参照 「るもい」は小樽駅・札幌駅 - 留萌駅 - 築別駅間(函館本線・留萠本線・羽幌線経由)の準急列車として、1961年(昭和36年)1月15日に1往復で運行を開始した(下りは小樽発、上りは札幌行き)。同年10月1日には往復とも小樽発着になるが、1962年(昭和37年)5月1日には運行区間が小樽駅 - 留萠駅 - 増毛駅間(函館本線・留萠本線経由)に変更され、いったん羽幌線への乗り入れがなくなった。 1963年(昭和38年)12月1日には運行区間が旭川駅 - 留萠駅 - 築別駅・幌延駅間(函館本線・留萠本線・羽幌線経由)に変更され、2往復体制(下り2号と上り列車は幌延発着、下り1号は築別発着)での運行となった。羽幌線内への乗り入れが復活したが、いずれも準急列車としての運行は函館本線・留萠本線内(旭川駅 - 留萠駅間)のみで、羽幌線内(留萠駅 - 築別駅・幌延駅間)は普通列車として運行された。なお、札幌駅直通準急の名称は「かむい」に変更された。 1966年(昭和41年)3月5日には急行列車となり、築別発着と幌延発着が1往復ずつの2往復体制となる。1967年(昭和42年)10月1日には下り1号が留萠止まりとなり、羽幌線直通は下り2号と上り1・2号となった。1968年(昭和43年)10月1日には羽幌線直通が2往復となるが、1972年(昭和47年)3月15日に下り1号が再度留萠止まりに戻っている。 1984年(昭和59年)2月1日に上り列車が廃止されて下り列車(旭川駅発留萠駅行き)のみの運転となり、羽幌線への乗り入れがなくなった。その下り列車も1986年(昭和61年)11月1日に「はぼろ」と共に廃止され、これによって留萠本線・羽幌線から優等列車が消滅した。 車両はキハ22形気動車が使用された。運行開始当初は単行(1両編成)だったが、1963年(昭和38年)12月1日からは2両編成で運行された。 廃止時の停車駅 旭川駅 - 深川駅 - 石狩沼田駅 - 留萠駅昭和40年代には恵比島駅にも停車していた。
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「るもい」の例文・使い方・用例・文例
- あの人は見るもいやだ
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