その後のうごき
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 00:52 UTC 版)
「営団5000系電車」の記事における「その後のうごき」の解説
1981年(昭和56年)以降は前述の編成で運用されてきたが、東西線は混雑が年々増加し、輸送力増強に迫られていた。このため、1987年(昭和62年)度に7両編成で運用している編成を10両編成化することとなり、不足する車両は1988年(昭和63年)度の半蔵門線半蔵門 - 三越前間開業用の8000系10両編成3本(第12 - 14編成)を前倒しして東西線に搬入した。 これは本形式が製造から20年以上が経過し、他路線では電機子チョッパ制御車をはじめとした新系列車両が導入されているため、旧式化した本形式を導入するのは得策でないためである。この結果、7両編成10本は10両編成7本へ組み替えられた。東西線全体では 5000系 7両編成10本、10両編成35本 8000系 10両編成3本 この時に5200形・5600形の電動車ユニットを電装解除し、付随車化した。合わせて主電動機や空気圧縮機、電動発電機等も撤去された。 そのほか、中間車として使用される5000形・5800形は運転台機能を停止させ、前面貫通扉と路線識別帯を撤去したほか、連結幌の接続と車掌台側に仕切扉を設置し、列車間の通り抜けができるように改造した。当初は丸ノ内線300形同様に運転台を完全に撤去し、中間車化することも検討されたが、本形式では見送られた。 その後、05系2次車以降の投入に伴い、最後まで残っていた7両編成10本は10両編成7本へと組み替えられた。最終的には10両編成42本(420両)が本形式の東西線における最終形態となった。アルミ車は10両編成2本に統一されているが、アルミ車で余った5453号だけは車両数の都合からステンレス車編成に組み込まれて運用された。この全編成の10両編成化は1990年(平成2年)6月20日のダイヤ改正時までに実施された。
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