その後の「羽根田・カンポス彗星」と羽根田の遺したもの
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羽根田・カンポス彗星は次の回帰にあたる1984年には検出されず、その後も再発見されることなく行方不明の状態になっている。羽根田・カンポス彗星については、関勉も回帰ごとに捜索に努めたものの、再発見には至っていない。関は再発見できない理由について、羽根田の発見当時は特別に増光していたとの推定を示し、普段は大変に暗いものではないかと想像している。 1993年3月7日、羽根田の一周忌が地元原町市で執り行われた。その席上で、羽根田の甥から中学2年生の道徳教科書『明日をひらく』(東京書籍)に「星をつかんだ人」という題名で羽根田の業績が掲載されたことの紹介があった。 南相馬市博物館は羽根田が愛用していた望遠鏡などを所蔵していて、たびたび企画展や講演会を開催している。羽根田は天体観測の他に、自宅近辺などで石器や土器の採集も行っていた。2000点以上にのぼるその採集品には採集場所や日付がそれぞれ記されていて、遺跡台帳には記されていない場所の遺跡の存在も判明した。
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