旧中込学校とは? わかりやすく解説

旧中込学校

名称: 旧中込学校
ふりがな きゅうなかごみがっこう
種別 史跡
種別2:
都道府県 長野県
市区町村 佐久市中込
管理団体
指定年月日 1969.04.12(昭和44.04.12)
指定基準 史4
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S43-12-006旧[[中込]なかごみ]学校.txt: 中込学校は、明治5年学制発布をうけ、明治6年下中少林寺を仮校舎として発足し、その名を「成知学校」と称したが、翌7年より学校新築にかかり、下中前林敷地買収し8年12月にほぼ落成したので、直ちに寺より移転し9年6月正式に開校のはこびにいたったもので、このとき校名を「中込学校」と改めた学制によって、下中は「第6大学区17中学区第7番小学」と称されたが、信州佐久一寒であったにもかかわらず工事費はほとんど村内全戸寄附まかない最新式学校をたて、また設計建築請け負うた市川次郎同村出身者で、アメリカより帰った新進建築技師であったことは注目すべきである
 校舎は、洋風木造2階屋上八角の太皷をもつ1棟で、表・裏玄関があり、表玄関のある正面にはとくに意匠をこらし、円柱配し一間通り放ち2階ベランダ構成し、窓はガラス戸にすべて鎧戸をつけ、廊下丸窓欄間には色ガラスをはめ、外壁ペンキ仕上げとしている。内部1・2階とも中廊下式で、両側教室等を配し寄棟造屋上にそびえる八角塔には廻階段上り、塔の四方に窓をひらき、天井中央より太鼓をつり、塔上には東西南北を示す金属製文字板をつけた鉄棒をたて、それに銅線を結びつけて避雷針とした。また建物向かって右側の旗竿に、「中込学校」の校旗をたてた。明治10年建てた聚待所はすでにないが、本館および学校敷地はよく明治初年旧態とどめている。




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