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旧相模川橋脚

名称: 旧相模川橋脚
ふりがな きゅうさがみがわきょうきゃく
種別 史跡
種別2:
都道府県 神奈川県
市区町村 茅ヶ崎市下町屋一丁目
管理団体 茅ヶ崎市(平19・117)
指定年月日 1926.10.20(大正15.10.20)
指定基準 史6
特別指定年月日
追加指定年月日 平成19.02.06
解説文: 小出川ニ沿ヒタル水田中ニ存ス、大正十二九月及翌十三一月兩度地震ニ依リ地上露出セルモノニシテソノ數七本アリソノ地下ニ隱レルモノ尚三本發見セリ 鎌倉時代ニ於ケル相模川橋梁脚柱ナラン
 旧相模川橋脚は、大正12年9月1日関東大震災及び大正13年1月15日余震に伴う液状化現象により、水田の中から出現した橋脚の跡である。歴史学者沼田頼輔博士『吾妻鏡』に基づき建久9年(1198)に源頼朝重臣稲毛重成亡妻追善供養のために架橋した橋脚考証し、大正15年史跡指定された。
最近まで池の中に保存されてきたが、水上露出した部分腐食進んだため、茅ヶ崎市教育委員会では平成13年から保存整備目的とした内容確認発掘調査実施した
3次にわたる発掘調査では、新たに見つかった橋杭1本を含めヒノキ製の橋杭合計10確認され、2メートル間隔で3本からなる1列の橋脚が、10メートル間隔4列に配置されていた。橋杭については年輪年代測定により西暦1126年から1260年伐採されたことが判明し、また橋杭周辺地震による墳砂・噴礫の痕跡や、橋脚近接する川岸護岸のために構築され中世前半期厚さ11cmもの横板角柱・礫等による土留遺構等確認された。さらに、中世後半期16世紀代)の土坑墓群や大正末期から昭和初期保存措置として行われた護岸遺構確認され土地利用変遷保存手法状況明らかになった。
今回確認され橋脚関連する中世前半期土留遺構や旧相模川含めた遺跡範囲指定地外に広がることから、追加指定をして保護万全図ろうとするものである
史跡名勝記念物のほかの用語一覧
史跡:  旧滝沢本陣  旧留萌佐賀家漁場  旧白金御料地  旧相模川橋脚  旧竹田荘  旧致道館  旧萩藩御船倉



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