お台場移転の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 23:09 UTC 版)
「フジテレビジョン」の記事における「お台場移転の経緯」の解説
従前の「母と子のフジテレビ」に替わり1980年に掲げた「軽チャー」路線がようやく波に乗り出し、1984年には年間売上高も開局以来初めて在京キー局でトップに躍り出た。局舎の台場移転構想が持ち上がったのはこの頃である。 当時のフジサンケイグループ議長であった鹿内春雄が、所用で当時はまだ更地だったお台場を訪れ「テレビ局を運営するならビルの林立した都心よりも、その都心を広々と見渡すことのできるお台場のような場所がいい」と考え、後のフジテレビ役員会議で提唱した。当時の東京都知事・鈴木俊一も「情報の集まる所に人は集まる」と考えており、「臨海副都心計画を成功させるためにはお台場エリアに一大エンターテインメントも必要」という方針を打ち出していた。そのようなこともあり、かねてから親交が深かった鹿内春雄にフジテレビの誘致を積極的に行っていたことが、この移転構想へつながったと見られている。FCGビルの設計には鈴木や鹿内と繋がりが深かった丹下健三が選ばれた。台場は当時未開発の地であり、都心と比較しても地価が安く、用地も都から安価で貸与してもらえたことも大きく影響した(後の2018年4月に東京都から約140億円で買収した)。 当時はレインボーブリッジやゆりかもめ線はおろか、りんかい線さえ開通していなかったことや、都心からも遠いこともありほとんどの役員は台場移転案に消極的であったが、前述のように将来における民放の衛星放送への参画や、それに伴うスタジオの増設、局内のデジタル回線への変更などで当時の河田町の局舎では限界があったため、新局舎の建設が必要であることは役員の誰もが理解していた。このため、再三にわたる議論の末、 河田町の局舎解体後、跡地に新局舎を建て直す案(移転不要案) 都心に近くて広大な土地のある品川区大崎(現在の大崎ニューシティやゲートシティ大崎があるJR大崎駅東口地区)への移転案 お台場移転案 の3つに絞られた。フジテレビの現場サイドも局舎そのものを観光名所にして、そこから新たな収益構造を作りたいという目的があったため、住宅地に囲まれた河田町では地理的に集客力に限界があり、この目的は達成できないとして1.の移転不要案は却下された。また、2.と3.を比べても、お台場は海沿いで眺めも良く、開発されつくした大崎エリアと比べても未開発で集客面でも将来性が大きかったことと、前述の地価の面でも大きく有利に動いた。これに加えて鈴木都知事の協力が得られたことにより、3.のお台場移転案が決定的になった。 これを受け、局内に当時取締役編成局長だった日枝久を初代室長とする総合開発室が設置された。将来の台場新局舎の建設計画や用地取得、および衛星放送開始に備え、10年越しでの大プロジェクトを敢行し、「お台場のフジテレビ」を築き上げた。また、これらのプロジェクトで費やした費用は10年間で数千億円に上ったという。 2022年2月現在、河田町時代からレギュラー放送されている番組は『MUSIC FAIR』、『サザエさん』、『ちびまる子ちゃん』、『めざましテレビ』、『くいしん坊!万才』、『皇室ご一家』などがある。2018年3月に『とんねるずのみなさんのおかげでした』と『めちゃ2イケてるッ!』が放送終了した事により、これで河田町時代から放送を開始したレギュラー放送のバラエティ番組は全て終了した。 なお、局舎跡地は都市基盤整備公団(現在の都市再生機構)により、超高層住宅「河田町ガーデン」が整備されている。
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