お初天神と久成寺とは? わかりやすく解説

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お初天神と久成寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/05 13:59 UTC 版)

曽根崎心中」の記事における「お初天神と久成寺」の解説

曽根崎心中題材となった事件現場大阪市北区曽根崎2丁目露天神社(つゆのてんじんじゃ)のこと。事件概要元禄16年1703年4月7日に「天神現在のの裏手)」で、内本町平野屋の手代「徳兵衛」が堂島新地天満屋遊女お初」をその同意のもとに殺害し同人その場自殺した相対死事件である。ところが、一月近松門左衛門暫く筆を休めていた後の作品として、この二人悲恋人形浄瑠璃曽根崎心中』として発表した。この作品は門左衛門期待どおり当時の世相人情機微をつかみ大反響得て大きな話題となったまた、事件神社一躍有名となり、そのヒロインである「お初」の名前から以後今日に至るまで「お初天神」と通称されている。 平成16年2004年4月7日には301年祭として、露天神社境内ブロンズ慰霊像が建立され平成17年2005年4月7日には「大阪伝統文化育む会」の主催により写真展資料展が開催された。門左衛門曽根崎心中の中でお初を「三十三に御身を変へ、色で導き情け教へ、恋を菩提となし、渡して観世音誓ひ妙に有難し」とお妙の名と観音信仰明治以前神仏習合常態であったので神社分けて考えない)をかけ、「未来成仏疑いなき、恋の手本なりにけり」と結んでいる。 なお「お初」は天満屋での呼び名であり、墓所慰霊碑)に記され久成寺大阪市中央区中寺)での戒名は妙力信女であることから「お妙」などが推測される。「お初」の墓石天満屋事件後に久成寺にたてたが、明治廃仏毀釈などのため所在不明となり 、その後2002年平成14年)「お初」の300回忌機縁に、当寺住職檀家の手により再建されている。

※この「お初天神と久成寺」の解説は、「曽根崎心中」の解説の一部です。
「お初天神と久成寺」を含む「曽根崎心中」の記事については、「曽根崎心中」の概要を参照ください。

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