生子神社の泣き相撲とは? わかりやすく解説

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生子神社の泣き相撲

名称: 生子神社の泣き相撲
ふりがな いきこじんじゃのなきずもう
種別1: 風俗習慣
保護団体名: 生子神社氏子
選択年月日 1996.11.28(平成8.11.28)
都道府県(列記): 栃木県
市区町村(列記): 鹿沼市樅山町
代表都道府県 栃木県
備考 所在地同一都道府県内にあるもの(このデータ種別1から移行しています)
解説文: わが国各地には、子どもの無事成長祈願するためのさまざまな行事伝承されている。
 鹿沼市樅山町生子神社秋祭り奉納される泣き相撲行事は、こうした成長祈願目的とする行事一つである。行事力自慢氏子男子扮する力士行司とで行われる境内のミタラセという湧水で身を浄め力士行司が、社前設けられ土俵上がりお祓い受けた後、行司呼び出す幼児抱いた力士東西から土俵上がり行司軍配合図かけ声をかけながら幼児揺すって先に泣いたほうを勝ちとする。
 行司かつては樅山町内の氏子対象に行うものであったが、しだいにその範囲氏子地域超えて周辺市町村に及び、現在では広く県の内外から集まるようになっている。これにともなって行事主催者昭和四十年代半ばから相撲講が組織され、現在では参加者はこれに申し込む形式とっている。なお、泣き相撲行われる土俵傍らには、大きくなった子どもたち用に仮設土俵設けられ樅山町内の氏子たちによって子ども相撲主催される。この子ども相撲で勝ち負けつけない習慣である。
 生子神社瓊々杵命ににぎのみこと】を祭神とし古く樅山明神称されていたが、病で子どもを亡くした氏子夫婦樅山明神に子どもの蘇生祈願し、ミタラセの池で水行行ったところ子どもが蘇生したので生子神社の名が生まれたといわれている。泣き相撲起源については明らかではないが、文久年間一八六一六四)にはすでに行われていたと伝えられており、明治四十三年祭典控には泣き相撲対す奉納金記録残っている。
 以上のようにこの行事は、生子神社の名称にちなみ、「泣く子は育つ」という俗信に基づく行事であり、子どもの成長祈願目的したものである。しかし、かつては氏子入りの機能有していたと考えられ時代の変遷とともに信仰範囲拡大し現在に至ったものと考えられる


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