あづま蔓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 17:24 UTC 版)
昭和に入ってからの調査で、岩倉・有実の両蔓の雄系をたどると1918年(大正7年)誕生した種雄牛「第10野田屋」号に収束することがわかり、それを元に近代的な集団育種事業を行うため1948年(昭和23年)あづま蔓造成組合が発足、そこから新蔓牛が誕生した。1952年(昭和27年)あづま蔓牛組合が国内初の公認蔓牛組合として全国和牛登録協会に認定されている。あづま蔓直系で育種登録第1号となった「第21深川」号は1953年(昭和28年)第1回全国和牛共進会(全国和牛能力共進会の前身)で名誉総裁高松宮杯を受賞しており、のち広島系統牛の始祖牛となる。 一方、1950年代に入ると農耕・運搬の機械化によって役牛としての需要は急速に減り、完全に肉用牛として飼われるようになる。 現代の比婆牛の基礎牛である「第38の1岩田」号は1948年(昭和23年)比和町で誕生する。この子孫が1966年(昭和41年)第1回・1970年(昭和45年)第2回全国和牛能力共進会で1等賞に入賞している。 また役牛から肉牛への用途に転換していく中であづま蔓の欠点だった前躯幅の改善を図るため、1959年(昭和34年)全国和牛登録協会主導により但馬牛との系統間交配が行われた。
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