『Long Good-by』秘話とは? わかりやすく解説

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『Long Good-by』秘話

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 01:31 UTC 版)

瞳みのる」の記事における「『Long Good-by』秘話」の解説

ザ・タイガース解散後に岸部沢田森本によるTEA FOR THREE結成された際、岸部沢田作詞森本作曲により瞳みのる捧げた作品Long Good-by」(作詞:岸部一徳/沢田研二 作曲:森本太郎)が制作された。タイガース解散直前日劇ウエスタンカーニバル舞台裏で瞳が岸部語った一緒に京都帰ろう」という会話基づいて作られている。2人は同じ中学水泳部一緒だったこともあり、メンバー内でも特に親交深かったアマチュア時代には岸部二人で四条河原町にあった大型キャバレークラウン」のドアボーイアルバイトをした。初めに岸部作詞し、その詞に対し森本作曲したのだったが、森本3番の歌詞内容満足せず3番作詞沢田依頼し完成させた。 楽曲長く音源化されず、森本率いる「森本太郎とスーパースター」の1月ライブでのみ披露されていた。 沢田還暦迎え2008年森本太郎とスーパースターアルバム「J.S.T. ROCK'N'ROLL」と沢田アルバムROCK'N ROLL MARCH」にそれぞれのバージョン収録された。また、沢田NHK総合テレビジョンの『SONGS』に出演した際に『Long Good-by』を歌唱した。そして、2008年12月沢田岸部森本と瞳は約38年振り再会果たしている。 2011年2月出版の瞳の自伝タイトルが、「ロング・グッバイのあとで」となり、ほぼ同時期にザ・タイガースの「復活」が具体的な話として盛り上がったことから、その重要な要素となったこの曲への関心評価にわかに高まってきた。 瞳みのるザ・タイガースメンバーとの38年ぶりの対面は、元マネージャーである中井国二の尽力と、沢田森本岸部のこの曲へ委ねた瞳への想いが、たまたま放送視聴していた高校同僚教師から瞳へと伝わったことなどが指摘されているが、度重なる大病退職にあたっての瞳の心境の変化離婚、独自の日中間の音楽への思い入れ主因と言われており、その後、瞳はこの曲への返歌「道」作詞作曲し元メンバーたちへの感謝表している。瞳はメンバーとの再会際し、「老虎再来」という曲の作曲作詞行い喜び表している。これらはCDとして発売された。 男同士ではあるが、これらは現代版の「相聞歌」とも言うべきものであり、音楽使っての、お互い感情の「投げかけ」によって、感情的に次第復元され元メンバー達は、このような過程経て、「再結成」へ向けて準備徐々に進行させていった2011年2月25日東京・一如水会館開かれた瞳の自伝出版記念パーティーでは、壇上岸部一徳沢田研二森本太郎、そして瞳みのる並んだことにより、瞳を含めたザ・タイガースメンバー揃って舞台の上姿を現すのは実に40年振りとなり、約40年にわたる「ロンググッバイ」は終わりを告げた

※この「『Long Good-by』秘話」の解説は、「瞳みのる」の解説の一部です。
「『Long Good-by』秘話」を含む「瞳みのる」の記事については、「瞳みのる」の概要を参照ください。

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