『Long Good-by』秘話
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「瞳みのる」の記事における「『Long Good-by』秘話」の解説
ザ・タイガース解散後に岸部、沢田、森本によるTEA FOR THREEが結成された際、岸部と沢田の作詞、森本の作曲により瞳みのるに捧げた作品「Long Good-by」(作詞:岸部一徳/沢田研二 作曲:森本太郎)が制作された。タイガース解散直前、日劇ウエスタンカーニバルの舞台裏で瞳が岸部に語った「一緒に京都へ帰ろう」という会話に基づいて作られている。2人は同じ中学で水泳部で一緒だったこともあり、メンバー内でも特に親交が深かった。アマチュア時代には岸部と二人で、四条河原町にあった大型キャバレー「クラウン」のドアボーイのアルバイトをした。初めに岸部が作詞し、その詞に対し森本が作曲したものだったが、森本は3番の歌詞の内容に満足せず、3番の作詞を沢田に依頼し完成させた。 楽曲は長く音源化されず、森本率いる「森本太郎とスーパースター」の1月ライブでのみ披露されていた。 沢田が還暦を迎える2008年、森本太郎とスーパースターのアルバム「J.S.T. ROCK'N'ROLL」と沢田のアルバム「ROCK'N ROLL MARCH」にそれぞれのバージョンで収録された。また、沢田はNHK総合テレビジョンの『SONGS』に出演した際に『Long Good-by』を歌唱した。そして、2008年12月に沢田、岸部、森本と瞳は約38年振りの再会を果たしている。 2011年2月出版の瞳の自伝のタイトルが、「ロング・グッバイのあとで」となり、ほぼ同時期に、ザ・タイガースの「復活」が具体的な話として盛り上がったことから、その重要な「要素」となったこの曲への関心や評価がにわかに高まってきた。 瞳みのるとザ・タイガースのメンバーとの38年ぶりの対面は、元マネージャーである中井国二の尽力と、沢田、森本、岸部のこの曲へ委ねた瞳への想いが、たまたま放送を視聴していた高校の同僚教師から瞳へと伝わったことなどが指摘されているが、度重なる大病と退職にあたっての瞳の心境の変化、離婚、独自の日中間の音楽への思い入れが主因と言われており、その後、瞳はこの曲への返歌、「道」を作詞、作曲し、元メンバーたちへの感謝を表している。瞳はメンバーとの再会に際し、「老虎再来」という曲の作曲、作詞を行い、喜びを表している。これらはCDとして発売された。 男同士ではあるが、これらは現代版の「相聞歌」とも言うべきものであり、音楽を使っての、お互いの感情の「投げかけ」によって、感情的に次第に復元された元メンバー達は、このような過程を経て、「再結成」へ向けての準備を徐々に進行させていった。 2011年2月25日に東京・一ツ橋の如水会館で開かれた瞳の自伝出版記念パーティーでは、壇上に岸部一徳、沢田研二、森本太郎、そして瞳みのるが並んだことにより、瞳を含めたザ・タイガースのメンバーが揃って舞台の上に姿を現すのは実に40年振りとなり、約40年にわたる「ロンググッバイ」は終わりを告げた。
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