『襤褸と宝石』初日の一件とは? わかりやすく解説

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『襤褸と宝石』初日の一件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/21 03:58 UTC 版)

加藤道夫」の記事における「『襤褸と宝石』初日の一件」の解説

劇作演出活躍する一方加藤ラジオドラマ評論翻訳発表西洋演劇精神現代日本舞台生かそうとした試み高く評価されたが、1952年昭和27年10月1日俳優座により初演され文部省芸術祭委嘱作品襤褸と宝石』(演出千田是也)への評価は、仲間内でもあまり芳しくなかった。 『襤褸と宝石初演観劇後、皆で有楽町寿司屋横丁に行くことになったが、一軒の店に全員入りきれず、路地隔てた向い側のもう一軒の店と二手分かれ二階座敷で窓を開け合っての宴となった主賓加藤のいる座敷には、親し芥川比呂志矢代静一三島由紀夫ほか若い後輩面々入り加藤のいない方の座敷は、福田恆存中村光夫堀田善衛中村真一郎などの顔ぶれだった。最初お互い交歓合っていたが、祝杯捧げられた後、向うの窓の賑わい次第ヒソヒソになっていった。 やがて、向う障子窓が閉められ密かに戯曲出来批評しているのがありありとわかる雰囲気だった。加藤は青い顔になった気まずい空気解きほぐそうと誰かが、「畜生悪口言おう思って障子閉めやがったな」と言ったことが、かえって座を沈ませた。冗談おどけたりできない真面目な加藤は、眉間ぴくぴく震わせ俯いたきり、お寿司に全く手をつけず盃もふせたままだった。 矢代芥川親友なだけに、劇に感動したなどと空々しいことを言えず、お世辞逆に不誠実だと思う歳頃でもあったため、戯曲出来触れない代わりに役者演技貶して元気づけようとしたが、座は盛り上がらなかった。三島向う側障子窓が閉められ時の気まずさ次のように語っている。 私はこんなことになるまでは、加藤氏今夜初日素直な意見も言はうと思つてゐたのであるが、この瞬間から、言へなくなつてしまつた。不幸な初日作者の心があまりにもありありとわかつたからである。そこまで自身がわかつてゐるものなら誰がそれ以上、氏の傷口に手をつつこむやうな真似をする必要があるだらうか。 — 三島由紀夫私の遍歴時代三島は、「岸輝子さんの乞食婆さんの、半間外したセリフ面白かったね」と、戯曲長所いくつか拾い集めて加藤励ましていたが、その後渋谷スナックバーボン」での合同二次会でも、加藤懸命に自分抑えよう努力しながらも浮かない表情を隠すことができなかった。

※この「『襤褸と宝石』初日の一件」の解説は、「加藤道夫」の解説の一部です。
「『襤褸と宝石』初日の一件」を含む「加藤道夫」の記事については、「加藤道夫」の概要を参照ください。

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