『独考』の執筆とは? わかりやすく解説

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『独考』の執筆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/13 05:32 UTC 版)

独考」の記事における「『独考』の執筆」の解説

詳細は「只野真葛#『独考』の執筆と晩年」を参照 『赤蝦夷風説考』著者として知られる仙台藩江戸詰藩医工藤平助長女であったあや子は、実家工藤家のため仙台只野家嫁したが、父と2人の弟を亡くしたあと失意日々送っていた。しかし、2つ和歌導きとして「さらば心にこめしこと共を書きしるさばや」と思い立ち文化12年1815年)より『独考』を書きはじめる。文化14年12月1日西暦1818年1月7日)に3巻の書に完成させた。『独考末尾には、「文化十四十二月一日五十五歳にて記す あや子事真葛」の署名がある。 翌文政元年12月には『独考』にみずから序を書いている。序は、 此書すべて、けんたいこころなく過言がちなり、其故(そのゆえ)は、身をくだり、過たることをいとふは、世にある人の上なりけり から書きはじめており、この書が、謙虚へりくだった文体では書かれておらず、言い過ぎているところが多いことを率直に認め、その理由として、出過ぎることなく謙譲姿勢を示すのは、この世生きる人の都合よるものだと説明するつづけて自分35歳生涯終わり決めてみちのく仙台の地に下ったのは、これが死出の道との覚悟あってのことなのだから、自分心情わからない他人から、どのような謗り受けよう痛くもかゆくもないまた、この書を憎み誹謗する人は恐るるに足りないわが国人びとが、自己の利益のみに生き異国脅威思いを寄せるともなく、国の浪費についても無関心で、自身のためにのみ金に狂って争っているさまが、自分には嘆かわしいであって、そのために、自分が人に憎まれるのはもとより承知のことであり、これをわきまえて心して読んでほしいと綴り本書執筆する意図宣言している。

※この「『独考』の執筆」の解説は、「独考」の解説の一部です。
「『独考』の執筆」を含む「独考」の記事については、「独考」の概要を参照ください。

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