『欲望という名の電車』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 01:59 UTC 版)
「ヴィヴィアン・リー」の記事における「『欲望という名の電車』」の解説
リーは、テネシー・ウィリアムズが書き、ウエスト・エンドで上演されることになっていた戯曲『欲望という名の電車』の主役ブランチ・デュボア役を欲した。原作者のウィリアムズと舞台プロデューサーのアイリーン・メイヤー・セルズニック (en:Irene Mayer Selznick) は、リーが出演した舞台『悪口学校』と『アンティゴネー』を観て、リーをブランチ・デュボア役に起用することを決めた。さらにオリヴィエも舞台監督として『欲望という名の電車』に参加することが決まった。陵辱シーンがあり、さらに乱交、同性愛への言及といった刺激的な内容を持つこの作品は大きな論争の的となり、マスコミもこの役を演じることがリーの精神状態を悪化させるのではないかと懸念していた。しかしながらリーはこのブランチ・デュボアは自身のキャリアにおいて非常に重要な役どころとなると固く信じていた。 ウエスト・エンドでの舞台劇『欲望という名の電車』は1949年に開幕した。劇作家J・B・プリーストリーはこの作品自体とリーの演技を激しく非難している。また、以前からリーの舞台を酷評することが多かった演劇評論家ケネス・タイナン (en:Kenneth Tynan) も、リーはひどいミスキャストであり、その理由として「このような(荒々しく粗野な)感情を舞台で表現するには、イギリス人俳優は上品に過ぎる」とコメントしている。オリヴィエとリーは、この作品が好色で扇情的な舞台になるに違いないと考えた観客が大量に詰め掛け、その結果として興行収入が上がったことについて遺憾の意を示している。しかしながらこの作品には熱心な支持者も多く、ノエル・カワードはリーのことを「最高だ」と評している。 ウエスト・エンドでの舞台『欲望という名の電車』は326回に及ぶ公演を重ねて幕を閉じ、その後すぐに映画化が決まった『欲望という名の電車』へのリーの出演が決まった。リーの傲岸さと、ときに下品なユーモアセンスを気に入った共演者のマーロン・ブランドとの仲は良好だったが、リーのことを一流の女優だとは認めていなかった監督のエリア・カザンとの関係はぎくしゃくしていた。後に「彼女(リー)の才能は微々たるものだった」とコメントしたこともあるカザンだったが、撮影が進むにつれてリーが「自身が知るどの女優よりも優れた演技を見せると固く心に決めた。彼女(リー)はもし演技に必要であれば、砕けたガラスの上に這いつくばる覚悟だった」と「大いなる賞賛」を与えている。それでもリーはこの映画のブランチ・デュボア役を演じることに疲れ果てており、ロサンゼルス・タイムズ紙に「私は劇場で九カ月間ブランチ・デュボアを演じていました。それが今では彼女(ブランチ)が私を牛耳っています」と語っている。この作品の撮影中はオリヴィエもリーと共にハリウッドに滞在しており、ウィリアム・ワイラー監督作品『黄昏』に出演し、ジェニファー・ジョーンズと共演している。 映画版『欲望という名の電車』は高く評価され、リーは二度目となるアカデミー主演女優賞と英国アカデミー最優秀英国女優賞、ニューヨーク映画批評家協会主演女優賞を受賞した。原作者テネシー・ウィリアムスはリーがブランチ・デュボアに「私が意図したあらゆるもの、そして私が夢にも思わなかった多くのもの」をもたらしてくれたと感謝を表しているが、後年にリーはブランチ・デュボアを演じたことは「倒れそうで、気が狂わんばかりだった」と振り返っている。
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