『次郎長巷談』と『遠州侠客伝』における山雨楼の見解
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本章は浪曲の演者であった広沢虎造が駿河国(現在の静岡県中部から東部)の侠客、清水次郎長を描いた演目『清水次郎長伝』とも内容は重なってくる。同曲の十四段目「森の石松と都鳥一家」から十九段目「本座村為五郎」までの舞台はつづけて遠州であり、ここでは都田の三兄弟(同曲では都鳥の三兄弟)、穂北の久六(同曲では保下田の久六)の子分の布橋の兼吉、疵を負った石松を庇う小松村七五郎と妻のお園(同曲のお民)、本座村の為五郎も登場する。評論家の正岡容によると『清水次郎長伝』は講談の神田伯山の演目であった。講談、浪曲という創作物の内容が通説となっている部分もあり、『東海遊侠伝』など清水次郎長の伝記や類するものもあり、またおよそ百年前の話であっても地方ごとに伝承されている話もそれぞれで、突き詰めれば全て虚偽であると突き放している山雨楼だが小説を完成する上では見解を立てざるを得ない「六ヶ敷(難しき)」立場であった。
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