『日本国体学』執筆とアジア太平洋戦争敗戦とは? わかりやすく解説

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『日本国体学』執筆とアジア太平洋戦争敗戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 03:42 UTC 版)

里見岸雄」の記事における「『日本国体学』執筆とアジア太平洋戦争敗戦」の解説

里見自身学問集大成である『日本国体学』を執筆するために、昭和18年11月伊勢神宮橿原神宮寄稿式を行い執筆取り掛かったが、ちょうどアジア太平洋戦争本土空襲本格的始まった空襲警報発令される里見は、書きかけの原稿用紙発令日時記入書庫振り返りつつ避難し解除になると直ち戻り解除時刻記入して執筆かかった。そして疎開先の秋田県扇田町において、昭和20年8月15日玉音放送拝した翌日16日里見直ちに「総裁非常訓辞」を執筆。「わが大日本帝国2600年にして真の国体顕現歴史入れり、転禍為福の妙機蓋し時に在り……熱涙中に国体凝視せよ。焼土の中より正義護国大道念を燃えあがらせよ」と全国同志発送18日扇田における例月国体講座救国再建第一声として「熱涙中に国体大義凝視せよ」の題下に講演計画し25日開催。これを伝え聞いた町民は、立錐余地なきほど参集里見は、憂国熱弁によって、失意どん底にあった町民光明勇気与えた物心共に興廃し、共産主義民主主義風潮覆われていた日本をいかに再興すべきかという問いは、里見念頭を去ることがなかった。機関誌復興向けて努力傍ら他誌通じて救国の筆を振い、『天皇共産党』『科学的国体論』『唯物弁証法生命弁証法』の単行著作公刊して文筆続け昭和22年3月国体戦線』を復刊した。しかし、占領軍高司令部から公職追放され、言論弾圧なども受けている。 昭和23年3月17日里見は、大著日本国体学』全13巻、総紙数35,000脱稿全国同志参集得て4月3日神武天皇祭にあたり神武天皇陵前で日本国学大奉告式を挙行した。その後里見救国再建と会勢の拡大をはかるべく、昭和23年8月西部巡講を皮切りに年々歳々継続的波状的な全国巡講を開始した巡行幾十回に及び、一回70日に及ぶこともあり、最も多い講演回数は年100回を数えた

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