『戦争と革命の放浪者 二葉亭四迷』とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 『戦争と革命の放浪者 二葉亭四迷』の意味・解説 

『戦争と革命の放浪者 二葉亭四迷』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 07:48 UTC 版)

亀井秀雄」の記事における「『戦争と革命の放浪者 二葉亭四迷』」の解説

『戦争と革命の放浪者 二葉亭四迷』(新典社1986年)は二葉亭四迷評伝である。 亀井は、論の中で二葉亭を呼ぶにあたって二葉亭の長谷川辰之助」または「辰之助」という呼称選択し、辰之助が1903年明治36年)に北京警務学堂の提調代理の職を辞して日本へもどるシーンから起稿した。警務学堂清朝政府近代的な警察官養成するために作った学校であり、辰之助と同じ時期に、東京外国語学校で清語を学んだ川島浪速清朝政府依頼監督務めていた。辰之助は1902年川島浪速請われて提調代理引き受けたが、学堂職員とそりが合わず日本引き上げざるを得なかった。亀井は辰之助の北京時代日記出てくる人名や、符帳めいたメモ解読しつつ、辰之助が極東におけるロシア動きを探る諜報活動試みていた事実迫っている。 東京もどった辰之助は大阪毎日新聞東京出張員となり、二葉亭四迷の名前で、ロシア文学翻訳や『其面影』『平凡』などの創作分野成果上げた。しかし彼は、自分ロシア語能力政治外交世界で生かしたい希望諦められず、亡命したポーランド革命党員との接触保ちロシア動向注視し続けた亀井は、辰之助が東京朝日新聞特派員としてロシアサンクトペテルブルク派遣され結核こじらせて日本帰る途中インドベンガル湾上の船内客死するまでを、辰之助の立場即して共感的描いている。

※この「『戦争と革命の放浪者 二葉亭四迷』」の解説は、「亀井秀雄」の解説の一部です。
「『戦争と革命の放浪者 二葉亭四迷』」を含む「亀井秀雄」の記事については、「亀井秀雄」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「『戦争と革命の放浪者 二葉亭四迷』」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「『戦争と革命の放浪者 二葉亭四迷』」の関連用語

1
12% |||||

『戦争と革命の放浪者 二葉亭四迷』のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



『戦争と革命の放浪者 二葉亭四迷』のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの亀井秀雄 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS