『屋根裏の遠い旅』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 17:04 UTC 版)
『屋根裏の遠い旅』は、那須が当時の児童文学に向けて放った挑戦的意欲作である。当時の児童文学界で主流だった太平洋戦争での戦争体験を子どもたちに伝えようとする多くの作品に対して、那須はそれでは本当に子どもたちを戦争から守ることにならないのではないかと考えた。 3歳のときに被爆した那須は、中学2年の時に受けた被爆者健康診断(国が始めた被爆者健康診断の第1回目)で、赤血球の数が正常値よりやや少なめだったために要精密の診断を受け、原爆症になったのではないかと真剣に悩んだという経験がある。実際は良性の貧血症状だったようで、その後は正常に戻ったが、こうした経緯は那須にとっての太平洋戦争がその体内では終戦後もずっと続いていたという認識、これと正面きって向き合わざるを得ないものとした。太平洋戦争で実際にあった惨状を児童文学として子どもたちに伝承することの意味を那須は決して否定しておらず、戦争児童文学に触れた子どもたちがその悲惨さを知って泣き、心をいためて反戦意識を強めることは想像に難くないが、それで未来の戦争までも防げるのかと考えた。過去の戦争体験は時代とともに風化していき、過去の戦争体験を知って泣いた子どもたちは、その本を読み終わったと同時に戦争のない時代に生まれて良かったとも感じる。那須が気にしたのはまさしくそこであった。戦争のない時代に生まれて良かったと感じるのではなく、いつまた戦争が起こるか分からないという認識、戦争はいつでも未来に起こりうるし、その火種はいまも常にあり続けているのだという「現在進行形の戦争児童文学」を、那須は『屋根裏の遠い旅』という作品に込めたのである。そこに、太平洋戦争に勝った日本というパラレルワールドに、現実には太平洋戦争の敗戦国・日本の子どもたちが迷い込んだという設定の理由がある。 ただ『屋根裏の遠い旅』やその後に発表した『ぼくらは海へ』は数ある那須作品のなかではかなりの意欲作であるが、那須自身が振り返るにその評判は必ずしも良くなかった。その核心は読んだ後の不安感や心のおさまりの悪さであるが、那須はそれをあえて狙ってもいる。その不安感、心のおさまりの悪さから、読者が何かを考えてくれればいい、そう考えて敢えてそういう結末にしているのだが、いわゆる好評を博す物語の結末として定番のハッピーエンドになっていないことが、作品発表後の評判にはつながらなかった。 のちに『ズッコケ三人組シリーズ』に代表されるようなエンターテイメントとしての地位を確立する那須だが、『折鶴の子どもたち』、『さぎ師たちの空』、『お江戸の百太郎』シリーズ、『殺人区域』など、時として同じ作家が書いたのかと思うほどに質感の違う息が詰まる作品の発表はその後も続く。
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