『ロメオとジュリエット』の作曲とは? わかりやすく解説

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『ロメオとジュリエット』の作曲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/20 14:54 UTC 版)

チャイコフスキーとロシア5人組」の記事における「『ロメオとジュリエット』の作曲」の解説

バラキレフ横暴さはチャイコフスキーとの関係暗い影落としたが、それでもなお両者互い力量認めあっていた。軋轢を生みはしたものの、バラキレフチャイコフスキーに対して何度も作品書き直すよう説得できる唯一の人物だったのである。それは幻想序曲ロメオとジュリエット』にて行われたバラキレフ助言に従ってチャイコフスキー下敷きとした彼の作品リア王』は、ベートーヴェン演奏会用序曲の例に倣いソナタ形式書かれ悲劇的序曲であった筋書き中心的な争いひとつだけ減らして音楽としてはソナタ形式二部構造表そうとしたのはチャイコフスキーの案であった。しかし、我々が知るように音楽でその構想実現したのは2回の徹底的な改訂後になってからある。バラキレフチャイコフスキー送付した初期稿多く破棄し楽曲両者の間の活発な意見とともにモスクワサンクトペテルブルクの間を行き来し続けたであったチャイコフスキーバラキレフ助言から数点のみを取り入れた後、1870年3月16日行われたニコライ・ルビンシテインによる第1項初演了承する結果惨憺たるものであった。この失敗が身にこたえたチャイコフスキーバラキレフ批判心に留めるうになる。彼は音楽院での学習超えるよう無理をして曲の大部分書き直し現在の形へ仕上げたのである。『ロメオとジュリエット』によりチャイコフスキー初め国内外での喝采浴びるようになり、5人組無条件本作賛辞を贈るうになる。『ロメオとジュリエット』の愛の主題聴いたスターソフは彼らにこう告げる。「かつてあなた方5人がいましたが、今は6人となりました。」5人組のこの作品への熱狂大きなもので、彼らの会合があるとバラキレフはいつでもピアノ弾いて聞かせるようせがんでいたほどであった。彼はあまりにもそれを繰り返したため、記憶頼りに自ら演奏できるようになっていた。 ローレンスとエリザベス・ハンソンをはじめとする評論家中には、もし1862年チャイコフスキー音楽院入学せずバラキレフ一団加わっていたらどうなっていただろうか、と考え巡らせる者もいる。彼らはチャイコフスキーバラキレフ尻を叩かれ着想与えられるまで『ロメオとジュリエット』を書かなかったという事実を証拠挙げチャイコフスキーはより早く一人前作曲家成長したかもしれない考えている。長い時間をかける中で彼がどれほどうまく成長できただろうか、というのはまた別の問題である。オーケストレーションなどの彼の音楽的技能多くは、音楽院受けた対位法和声音楽理論徹底した基礎講義賜物のである。その基礎講義なければ、後の偉大な作品群生み出す能力育まれなかったかもしれないからである。

※この「『ロメオとジュリエット』の作曲」の解説は、「チャイコフスキーとロシア5人組」の解説の一部です。
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