『レヴィ家の饗宴』とは? わかりやすく解説

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『レヴィ家の饗宴』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 01:59 UTC 版)

パオロ・ヴェロネーゼ」の記事における「『レヴィ家の饗宴』」の解説

ヴェロネーゼ1573年ヴェネツィアサンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会食堂壁画『レヴィ家の饗宴』として知られる作品描いた。この食堂飾られていたティツィアーノキャンヴァス油彩描いた絵画火災焼失してしまったため、ヴェロネーゼ依頼を受け、もともとは『最後の晩餐』として描き始めたのであるヴェネツィア風の祝宴を表現した、縦5m超、横12m超という非常に大きな絵画で、ヴェロネーゼ食事光景描いた作品群中でも最高傑作とされている作品である。十二使徒集う最後の晩餐」の情景だけではなくドイツ軍人、小人道化様々な動物など、ヴェロネーゼ作品物語性持たせるために多用した異国風のモチーフがともに描かれている。ヴェロネーゼ特徴である輝くような色使いとともに豊かな物語性感情表現、非常に繊細かつ深い意味合い持たせて描かれている人物間の身振りなどに優れた描写見られる作品となっている。 前述したように、『レヴィ家の饗宴』はもともと「最後の晩餐」を主題として描かれていた。10年前作品『カナの婚礼』場合依頼主ベネディクト会修道僧は、作品可能な限り人物を描くことを望んだしかしながら『レヴィ家の饗宴』では、聖書エピソードの「最後の晩餐」を贅沢な衣装着たヴェネツィア貴族階級祝宴のように描いた上に、本来の聖書エピソードとは無関係な道化、酔っぱらったドイツ人小人などの下品なモチーフ用いたことが不信心ではないかとしてローマ・カトリック教会対抗宗教改革問題視され1573年7月ヴェロネーゼ異端審問会に召還受けた。この審問自体懲罰ではなく警告を主としたもので、3カ月以内作品描き直すように命じられたが、ヴェロネーゼは「我々画家は、詩人あるいは狂人同じく、心に思ったことを自由に表現する権利持っていると言い放ち作品描き直すではなく単に作品の題名を「最後の晩餐」から『レヴィ家の饗宴』に変更するだけで、この異端審問会を切り抜けたのである。 『レヴィ家の饗宴』は様々な議論巻き起こした作品である。1960年代にもモンティ・パイソンが、ミケランジェロカンガルー28人の弟子、3人のキリストを『最後の晩餐』に描いたために、ローマ教皇召喚されるというコメディ披露した。このコメディにはヴェロネーゼあっけらかんと『最後の晩餐』を『最後から二番目晩餐』に題名変更して問題解決しようとするというオチついている

※この「『レヴィ家の饗宴』」の解説は、「パオロ・ヴェロネーゼ」の解説の一部です。
「『レヴィ家の饗宴』」を含む「パオロ・ヴェロネーゼ」の記事については、「パオロ・ヴェロネーゼ」の概要を参照ください。

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