『ルック』誌掲載写真
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「上海南駅の赤ん坊」の記事における「『ルック』誌掲載写真」の解説
『ルック』1937年12月21日号に、王による別の写真(「写真2」)が掲載された。この写真2には、赤ん坊に加えてもう一人の児童がいて、この二人の子供らのそばにしゃがみこんでいる白い服の男性が写っている。写真を演出によるものとする立場からは、この男性はタグチという王のアシスタントであり、効果的な写真を撮影するために赤ん坊を手配したものと主張されている。この男性らしき人物がまた別の十代くらいの白い服を着た少年を埋もれた瓦礫の中から運び上げている様子が、ザ・バトル・オブ・チャイナの24分07秒から24分10秒で動画として見ることができる。 また、この赤ん坊を対面のホームから線路を渡って「写真1」のホームに運んでいる黒っぽい服の男性(「写真2」の男性とは別人)の写真も掲載された。『ルック』では、この赤ん坊も半ば瓦礫に埋まっているようなところを拾い上げられ、運び出されてきたものだとされている。また、この赤ん坊を運んでいる黒っぽい服の男性と先の白い服の男性が同時に写っている写真や動画(『激動・日中戦史秘録』27分13秒~16秒)もあり、そこでは白い服の男性は、事件現場を全体的に観察している雰囲気で、赤ん坊を運んでいる黒っぽい服の男性を指図する立場の人物であるかのようにも思える。『ルック』掲載の写真のキャプションによれば、瓦礫の中から拾い上げられた赤ん坊が黒っぽい服の救助者によって反対側のホームに運び出され、その救助者は他の被害者の救出に戻っていったとされている。さらにその後、赤ん坊を近くの応急処置救護所に連れて行くために、白い服の男性が5,6歳くらいの子どもと共に赤ん坊のところにやって来たとされており、その写真が「写真2」となっている。『ルック』の記事にしたがえば、話題となった赤ん坊一人の写真は、黒っぽい服の救助者が離れた後、白い服の男性が来る前に撮られたものということになるであろうが、赤ん坊の座っている場所は、ホームよりも低く、せいぜいレール敷地程度の高さにも見える。 中国国民党が編纂した『日寇暴行実録』(1938年)においては、「写真2」は「避難後の父子」とキャプションが付けられて掲載された。 この写真についてジョン・ファーバーは「男性が赤ん坊を助けに来た場面」と主張する。一方で東中野修道は「演出写真の作成中の写真である」とする(下段「論争」に詳述)。
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