『サイエンティフィック・アメリカン』誌へのスモーリーの寄稿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/07 15:05 UTC 版)
「分子ナノテクノロジーに関するドレクスラーとスモーリーの論争」の記事における「『サイエンティフィック・アメリカン』誌へのスモーリーの寄稿」の解説
スモーリーは2001年9月に発行された一般向け科学雑誌『サイエンティフィック・アメリカン』のナノテクノロジー特集号に「化学、愛、ナノロボットのこと」と題する論考を書いた。その冒頭でスモーリーは化学反応を原子による複雑なダンスに例えた。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}少年と少女が互いに恋愛感情を持っているとき、二人の間のケミストリー(=相性)が良いといわれる。人間関係についていう「ケミストリー」は、それよりも散文的な分子間結合で起こっている精妙な現象とそれほどかけ離れていない。パートナーを求めている二つの分子が化学反応を起こすとき、お互いの原子のいくつかをつなぎ合わせるために、三次元的な運動をともなう複雑なダンスが行われる。(中略)そして分子たちのケミストリーが本当に良いならば、結合を果たした結果、必ず望み通りの生成物が誕生する。 スモーリーは分子アセンブラ、すなわち個々の原子を操作して望みの物質を構築することができるナノロボットの概念を話題に挙げ、アセンブラが意味のある量の物質を生産するのにどれほど時間がかかるかと問いかけた。彼の試算では、単独で活動するアセンブラが1モルの物質を生産するには数百万年の時間がかかるが、自己複製型のアセンブラが1分間にわたって増殖を繰り返したならば、アセンブラ集団は1ミリ秒もかからずに1モルの物質を生産できるとされた。スモーリーはここから論を進めて、自己複製型ナノロボットが突然変異を起こして際限なく自己生産を行い、いわゆるグレイグーが発生するというシナリオや、ビル・ジョイのエッセイ「なぜ未来はわれわれを必要としないのか?」の引用として、ナノロボットが群知能を発達させてある種の生命体となる危険性を論じた。 次に、自己複製型ナノロボットというアイディアにどれほど現実性があるか考察された。スモーリーの言によれば、化学反応の中ではすべての化学結合が相互に絡み合っており、一つの原子の配置は付近にあるすべての原子の位置から多大な影響を受ける。したがって分子アセンブラが機能するには多くの原子を同時に制御しなければならず、そのために多数のマニピュレータ原子を備えていなければならない。ここでスモーリーは分子アセンブラの概念に二つの難点があると主張し、それぞれ「太い指の問題」と「べたつく指の問題」と呼んだ。 マニピュレータ・アームの指はそれ自体原子でできているはずなので、原子より小さいサイズにすることはできない。そして、ナノメートルサイズの反応領域には、反応を完全に制御するために必要な複数のマニピュレータの指を一度に動作させるスペースなどない。[また、]マニピュレータ・ハンドが掴んだ原子は指の原子に吸着してしまう。そのため、原子を極小サイズの積み木よろしく任意の場所で手から離すわけにはいかない。この二つは原理的な問題であって、避けることはできない。現実世界では自己複製型の機械的ナノロボットなどありえないのだ。 スモーリーは最後に再び愛のダンスのアナロジーを持ち出し、「女の子と男の子を互いに向けて圧迫したところで恋は芽生えない」と述べた。
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